2014年12月31日水曜日

としの終わりに

仕事も納まり、実家に帰って手帳と日記を見返しながらここ2年のことを振り返っていました。ものすごく長くて長くて、でもあっという間に過ぎた気もします。

大学を卒業してから、毎日たくさんの場所に行ってたくさんの人たち(主に農村で暮らすひとたち)に会い続けている。去年からそんな生活が始まって、いろいろなひとやものや風景に出くわすたびに世界はひろがり、その壮大さや複雑さ、日々いろいろな顔を見せる世界に触れてはその都度感嘆していたのだけれども、一方で、このひろがりつづける世界に対して、そのひとつひとつに自分がどう関わっているのか、どう関わったらいいのかが分からなくて、それに無力感やもどかしさを感じることもあって。
毎日入る情報をうまく飲み下せず、だけれども新しい場所や人へ会いに行く生活は続き、消化不良を起こしながらずるずると引きずられるようにして、とりあえずここにいるという感じ。

行った先の場所や人のことをふと思ったときに、なんだかそれは夢の中のお話だったかのように実感が持てず、わたしの今いる場所とつながっている気がしない。
経験が分断されていることと、それが知らぬ間に失われていってしまうことへの不安がぼんやりとありました。
人との関係もそうで、自分のいる場所やコミュニティが変わっていくことで、関われなくなってしまうひとたちがいるのはどうにもできないことなのかもしれないけれど、それをうまく受け止めることができなくて悶々としていた一年だったような気がします。

ある一定の根付く場所を持たず、自分の手を動かして地道に営むことができない生活であることにも由来しているのかもしれないけれど、でもそれはこの2年間に限ったことではなく、これまでの自分の学びのあり方自体が分断されたその場しのぎのものであったからなのかもしれないなと。
すべての経験をつなぎとめておくことは難しいと思うけれど、それをどう位置付けて、人にパスあるいは自分のものとして定着させるのか。または自分がうまく関われないことやひとを否定せず手ばなせるか。どこかではすべてすべてつながっていることだと思うので、ひとつづきの人として、関わることも関われないこともちゃんとしていきたいなというのが来年の抱負。

振り返ってみると今年は躓いてばかりの一年だったけれど、でもわたしにとってそれはとても大事なことだったと思うのでいまはそのいろいろに感謝。
来年はゆっくりとでも、日々の経験を言葉にしたり、自分のものとしてつなげていくことができたらいいなあ。



写真は今年みたいちばんの夕焼け。国東半島にて。

来年もきれいなものにたくさん出会えますように。

2014年11月9日日曜日

トリエンナーレとどくんご/イノシシおじさん、ゴディバの母ちゃん

昨日は中洲川端にあるあじびで福岡アジア美術トリエンナーレを見た後、須崎公園でやっているどくんごの公演を見に行った。


トリエンナーレは壮大。世界にはわたしの知らないたくさんの国や民族があって、そこには無数の人たちが生きて、生活している。数にしてしまえば個々の凹凸は捨象されてしまうけれど、一人ひとりの物語は宇宙規模で、ドラマチック、捉えがたい。
それらは作品にせずとも何気ない日常の中でもふと透けて見えたりするけれど、でも作品として提示されることで、その地へ一度も行ったことのないわたしでも少しだけ思いを馳せることができる。無数の宇宙の存在は、作品として目撃、知覚されるものもあれば、見られることのないまま埋もれていくものもたくさんあるわけで、わたしが毎日やっている仕事であっても同じことで、毎日会うことができた人だけ、その人の人生を少しだけ垣間見ることができる。一瞬通り過ぎるわたしは透明人間のような存在で、その土地で暮らしている彼や彼女に関わることはほとんどできないけれど、日々、わたしは彼らの言動に揺さぶられる。生身の人間に触れているのだという確かな手触りがあって、でもだからといってそれをどうすることもできないのだけれど。

先々週山奥で出会った、イノシシ好きの農家のおじさんは、イノシシを食べることも、飼うことも好きな人だった。
野山を荒らすイノシシを自衛の為に捕ってきては、すぐには殺さず、村の人たちからもらった古米や栗をやって飼育し、肥えさせて、自分で捌いて食べる。一時は40頭も飼っていたとか。イノシシというと「肉がくさくて食べられない」と言う人がいるけれど、おじさんが言うには、血抜き処理をしっかりすればくさみもない上等のお肉になるのだそう。村のお肉屋さんみたいな人で、イノシシのお肉を闇で売ってお金に替えることもあったそうだけれど、でもそれはお金を儲けたいという思いが最初にあったのではなく、まず自分が食べたいと思うからやっていることで、今でも毎日、奥さんに鹿やイノシシの肉をサイコロステーキのように焼いてもらって食べているんだとうれしそうに話してくれた。
そのおじさんが若いころ事故をして自分でご飯を食べることができなくなった時があったらしく、味噌汁とごはんを食べさせてもらうときに、ああ、もう一口、味噌汁飲みたいなと思うのだけれども、伝えられなくて、口にご飯が運ばれる。その時を振り返って自分が食べたいと思ったものが食べれない不自由は最悪だった、もう少し味噌汁飲みたいと思ったときに無理やりご飯を食べさせられるなんて酷い話だ、自分はもう年だけれどこの先動けなくなって寝たきりになるようようなことがあって自分の好きなものを自分の好きなタイミングで食べられなくなるくらいなら死んだ方がましだ、と迷いなく言い放っていて、わたしはなぜだかすごく感激してしまった。
肌のつやつやした、少し太っちょの、イノシシ飼いのおじさん。わたしが会ったときは黒いネットをかぶって、虫取り網を持っておじさんが飼っている日本ミツバチを襲うスズメバチ退治をしていたところだった。ハチミツを毎日ヨーグルトに入れて奥さんと一緒に食べるんだと言っていた。
イノシシも蜂蜜も美味しくて、自分が食べたいから飼う。そのために仕事をする。食べたいものを食べることができるから生きる。正しさとかは置いておいて、その単純さと力強さにやられてしまった。




ゴディバの母ちゃんは、「ミトリ豆という豆をつくったら美味しくて美味しくてわたしハマっちゃった」らしく、それをおこわにするとこれまたものすごくおいしいから今度食べにおいでと言ってくれたのだった。
後日訪ねて行くとおこわのおにぎりとお茶とお漬物とあさげの味噌汁を出してくれた。そしてパックにつめたミトリ豆のおこわをわたしに持たせてくれたのだけれど、そのときおこわを入れてくれた袋がゴディバの紙袋だった。わたしが「ゴディバとか食べるんですね」と聞くと、「それゴディバって読むの?わたし何て読むのかなと思っていたのよ」と。家にきれいな袋があったからそれに入れてくれたのだそう。ゴディバなんて知らなくても、出してくれる味噌汁があさげでも、ミトリ豆にはまった母ちゃんのおこわはたいそう美味しく、わたしはその母ちゃんもミトリ豆もすごく好きになった。




いつか、「あなた自身の毎日をドキュメントするだけで面白い作品になる」と言われた時があって、最初は意味が分からなかったけれど、今はよく分かる。どんな人にも広大な宇宙のような物語があるのだということ。




どくんごの芝居には全部があって、うれしくて、楽しくて、あたたかくて、さびしくて、悲しい。愛おしい。見るたび毎回やられてしまう。言葉を使っているけれど言葉ではないなと思う。




小さな花一つをとっても、どうしてそれを十分に理解することができただなんて言えるのだろうか。
毎日躓くことは、毎日に慣れていくことよりも至極まっとうなことであると思うのです。それでは社会が機能しなくなってしまうのだろうか。話すこと、聞くこと、食べること、歩くこと、伝えること、どれ一つをとってもわたしには分からないことばかりで、でも多分全部わかることなんてないのだと思うから、だからこそ謙虚でありたいなと思う。



2014年9月20日土曜日

ホトケのばあさま

村を回っているとたまにホトケみたいな、やーさしい、謙虚で悟りきったばあさまに出会うことがあるけれど、どんなふうな人生送るとあんなふうな感じになるのだろうか。
見知らぬ私が玄関先にバイク乗り付けていってもあーはいはい、みたいな感じで全然動じず、それでいてお茶やら漬物やら出してくれて。

こうありたいと自分が思うようにいきるのはなかなかに大変なことで、毎日が弱い心とのたゆまぬ戦いであるなあと思います。


このあいだ、宮本常一について書かれた本を読んでいたら、彼が故郷の周防大島を離れて大阪に出るときに父親から言われたという旅の「十か条」が書いてありました。


(1) 汽車へ乗ったら窓から外をよく見よ、田や畑に何が植えられているか、育ちがよいかわるいか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か草葺きか、そういうこともよく見ることだ。駅へ着いたら人の乗りおりに注意せよ、そしてどういう服装をしているかに気をつけよ。また、駅の荷置場にどういう荷がおかれているかをよく見よ。そういうことでその土地が富んでいるか貧しいか、よく働くところかそうでないところかよくわかる。

(2) 村でも町でも新しくたずねていったところはかならず高いところへ上ってみよ、そして方向を知り、目立つものを見よ。峠の上で村を見おろすようなことがあったら、お宮の森やお寺や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々をみておけ、そして山の上で目をひいたものが、そこへはかならずいって見ることだ。高いところでよく見ておいたらみちにまようようなことはほとんどない。

・・・・・・・

(10) 人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ、あせることはない。自分のえらんだ道をしっかり歩いていくことだ。


一枚の写真から、車窓からの一瞬の風景から、その村やその村に住む人々のことを知る、わかろうとする、記憶していく彼の営みはとても真似できるものではないけれど、毎日毎日新しい場所で知らない人たちに会う仕事をしているのであれば、知るとか見るといったことは、もっともっと深い場所で為されるべきだと思う。
という思いばっかり。


今日は朝寝坊(いつもどおり目覚めたけどうなされたのでもう一度寝た)のあと、部屋の片付け(まりりんからの手紙に掃除が良いとあったから。特にトイレがいいとあったけれど林田さんがきれいにしてくれているのでトイレットペーパー三角にするくらい)。
お手紙書いて、絵も少し描いて、荷物をまとめて実家に送り、買い物、箱崎の本屋さんへ。
3時間くらい本屋さんにはいたけれど買ったのは加藤さんの呼吸の本だけ。本屋さんには本当にたくさんの主張が並んでいる。
帰りみち、かなたさんから来たメールにじーんとして、息を吐き吐き、マッサージしてもらって寮。


宮本常一も、ホトケのようなばあさまもいまのわたしには遠く遠くだけれども、息を吐いて吸って、吐いて吸って、いまを生きることを積み重ねていくしかないなあと。
ばあさまになるまではまだ随分と時間はあるし。




今週は大分の由布に居ました。
由布川渓谷にて。




電線がない景色は日本昔話に出てきそうだった。


2014年8月9日土曜日

お盆

この時期、村の人たちは家や墓の周りをきれいにしています。お盆はすぐそこ。

彼らの、死んでいった人たちとのつながり方やその心持ち、そのために自分の身体を動かすこと、時間を充てるといったことは、なんだか豊かで羨ましくなることがあります。
墓の周りの草を刈るおじいちゃんとおばあちゃんの横を、バイクで通り過ぎながら。道に面した小高いその場所にはきっと気持ちいい風が吹くだろうなあと思いました。

盆踊りはお囃子と太鼓と口説き手と踊り手が居ないと出来ないと教えてもらいました。各集落ごとにお盆の習わしは少しずつ違って、でもどこもいままで続いてきたそれを伝えて残そうとしていました。

写真は女性では珍しい口説き手のおばあちゃんに見せてもらった台詞。杵築市大田小野にて。
口説き手は今でいうDJみたいな感じだったのではないかなと想像する。
町田康の告白を読んで以来、昔の盆踊りの熱狂を思い浮かべてはいつかはわたしも踊ってみたいと思うのです。


2014年7月20日日曜日

経ることができるから経験する

ここのところ失語中で、なにか話そうとおもっても薄っぺらな言葉しか出てこなそうなので写真だけ。



先月は和歌山へ一カ月行っていましたが、いまは大分県の耶馬溪というところに通っています。






ことばはあとからついてくるのでしょうか。




突然、だいすきだったふたりがいなくなってしまったけれど、いまでもその存在に励まされていて、どこか遠くの川のきれいなところで歩きながら歌を口ずさんでいるのではないかしら。

わたしたちは経ることができるから経験するのだと、
友人から届いた手がみに書いてあったことばに何度も何度も救われる。




2014年5月4日日曜日

5月の休日 花のかおりに

季節だからか、まぶしいくらい道々の花が輝いていて、みるたびに一瞬、こころを奪われる。

■博多

毎週末、博多の寮に戻るたび、庭先にジャスミンの花が咲いているのを見た。林田さんが言うにはジャスミンの花は咲いた後はすぐに枯れてしまうのだそうなのだけれど、ちょうど気温があまり上がらなかったこともあって、3べんも見ることができた。つぼみがピンクに色づくまで、寮の前にジャスミンの木があったことなんて知らなかったけれど、咲きほこるジャスミンはその存在を見過ごせないくらいにものすごい香りを道中にばらまいていた。


つぼみは濃いピンク色だったのに、咲くと花は白くて、なんともいえずかわいらしくて、すこしだけ自分の部屋に持ち帰って絵を描いた。絵を描くという行為によってすこしでも近づきたいと思っていたのだけれど、なかなか簡単にはいかなかった。


ジャスミンの花に限らず、心を奪われるものごとに出くわすと、どうにもできないきもちになって(わたしはそれになりたいのかもしれない)、どんな方法によってかよりちかくに、ちかくにと行きたくなる。踊りや、歌や、文章や絵を描くというのは、あるものに近づくための儀式のようなものではないかと勝手に思っているのだけれどどうだろうか。そういう儀式をするときは、わたしのこころはとてもしん、とした気持ちになっていて、何かをしなければならないとかいった日常にある雑多な気持ちと離れて、なにか祈りにも似た静かな気持ちになることができる。


■天草

4月は、3月までいた沖縄を離れて、熊本の天草へ。



海の向こうには雲仙普賢岳があって、引き潮と満ち潮、雲のようすや光の当たり具合で海は毎回表情を変えて、その都度その都度、わたしはなんとも言えない気持ちになるのでした。久々の田圃のある風景。その土地特有の景色、ランドスケープを気にするようになったのはさいきんのことで、その景色のなかで生きているひとたち、その景色をつくってきたひとたちはどんなふうに暮らしていたのだろうか、そしていまどんなふうに暮らしているのだろうかと、思うだけでだれも答えてはくれない疑問が浮かぶ。


わたしの故郷には海がないから、海がある生活というものは縁遠いものだった。小さな島で出会った花農家のおじさんは「ここは別天地さ」と豪快に言って、バイクで周囲4キロの島を案内してくれた。島の中は治外法権みたいな感じで、ヘルメットもつけない、ナンバーもつけていない車やバイクの人が多かった。その島は、わたしが3年前に行った祝島にどことなく雰囲気が似ていた。若い人はやはりすくなくて、ほとんどが60代以上のおじいちゃんやおばあちゃんだった。



海にはポツリポツリと小さな島々が浮かんでいて、大きな島同士をかける5つの橋を毎日バイクでわたりながら、毎度毎度、その景色に見惚れた。毎日、こんな風景をみて、その土地の人と話していても、それをだれとも共有しないままにいると、なんだか、自分が見たり聞いたりしていることは全てまぼろしなのではないかと思えてくる。



くもの切れ間から光が差し込む様子は神話の世界のようだった。




■長野


お休み前、仕事で一日だけ長野に行った。一年前を思い出す。博多から名古屋へ出て、名古屋から長野駅へ向かった。木曽山脈と木曽川に沿って線路は走っていて、車窓から見える景色は格別だった。ここでは天草とは全く違う暮らしが営まれているのだろうと思った。帰り道の車の中で、雪が残る高い山々を見た先輩が、これを毎日見ていたら神さまがいるって思うだろうねとぽつりと言っていた。


2月に沖縄に行ったらもう桜は散っていて、3月末に戻った博多でももう桜は散っていて、4月末の長野では、いまちょうど桜が咲いていた。


■埼玉

長野から休みをもらって帰省した。特に何も誇るもののない地元だけれど、あちこち外の地域を回るようになってから、また近くの景色を見渡してみると、案外いいところもあるように思えた。幼馴染の友人がつくった酵素ジュースと秋に採った栗ペーストのクッキーを持って庭に御座を敷き、ピクニック気分で乾杯した。




それから、このあたりもきれいなところがあるんだねと一緒に近所を散歩した。




それでも近くの雑木林がメガソーラー施設を設置するためになくなってしまっていたり、またそんな場所ができる、という話を聞いたりした。
景色がいつもよりきれいに見えるのは、失われてしまうことを考えるからなのかもしれない。天草のあのきれいな風景であっても、むかしと比べればもうたくさんのものが失われていた(豊富にいた貝や魚たちがものすごく減ってしまったという話を聞いた)。損なわれたり失われてしまうかもしれないという惧れの感覚は、さいきん特に切実で、田舎を回っていると、もうこの世界は取り返しのつかないところまで来ているのではないかとおもうことがよくある。誰が悪い、ということもなくて、その大きな流れに抗うことは難しくて、わたしは失われてしまうかもしれないものたちをただただ愛でることしかできない。

そういえば、村上春樹の新刊も、失われてしまったものたちの物語だった。東京に行くたびに大きなスーツケースをもって嵐のように訪れて嵐のように去っていくわたしを毎回あたたかく迎えてくれる友人が、なぜか同じ本を二冊持っていて、その一冊をくれた。女のいない男たち という題名は萩尾望都のマージナル を思い出させる。男のいない女たち というのは題名としてなんだか恰好がつかないのかもしれないけれど、でもわたしのまわりにいる魅力的な友人たちは、長く付き合っていても分かるようで分からない部分がたくさんあって、そんなタイトルでわたしも本一冊くらい書けるのではないかと思ったりもした。

さいきん、仙台の友人と文通をしていて、週末に博多の寮に戻るとはがきが届いているのだけれど、そこにあった「私達はいつか、身体に無理な仕打ちをしない生き方に行き着くのだと確信しています。」という言葉に何度も救われる。
この間読んだ早川ユミさんの「種まきノート」という本がとてもよかった分、そこで描かれる生活の豊かさと自分のそれとのギャップに打ちのめされもしていたわたしは、彼女の言葉をお守りのようにもって、じぶんの今を励ましている。ここでも多分たくさんできることがあって、それをちゃんとしようと思う。
幸せはそこいらじゅうに転がっていて、実家の味噌汁がすごくおいしかったこととか、職場の先輩や同輩がほんとうにいい人たちばかりであることとか、あちこち移動しながら見る景色がそれぞれ美しくて、そこで生きるひとたちの素晴らしい営みや人柄に出会えたときだとか、そういうものに毎日励まされていて、わたしもまた誰かを励ませるような働きができたらいいのにと思う。

そしていつか、自分の小さな庭を持つことができたら、木香薔薇と難波茨とジャスミンの苗を植えたい。



花のかおりに、というフォーククルセダーズの音楽がとてもすきです。




2014年4月5日土曜日

リュックを背負うと両手が空く


春の雨が降る博多で、今日は本を読んだり珈琲を飲んだり買い物をしたりしました。
あさの、すこし肌寒くて薄暗い部屋でお布団の中に入ってあれこれと考えながら少し泣いたのは、ただ単に眠かったからかもしれない。夢と日常の境目はいつもはかなくてとても愛おしい時間。色彩がなくて、乳白色とかグレーとかそんな色が似あうなあと思います。

文字はずっと前から書いていたけれど、大学で一人暮らしをしていたときにも書きつけていたけれど、こんなに自分に必要なものだとは思っていなかった。後から読むとものすごく陳腐な内容でも、自分が欲しい言葉や物語はけっこう自給できるものであると最近気がつきました。さすが、むかしから続いてきた営みである。文字がなくてもきっと唄があったのでしょう。

このごろよく想うのは、自分のなかに住む少女について。遠くにいる女友達や知り合いのなかにいる少女も勝手に想像する。わたしはそれを少女って呼ぶけれど、ひとによって違うようで、それをウニヒピリという人もいるし、神さまっていう人もいるし、天使という人もいる。
幼くてさびしがり屋の神さまで天使で少女。自分がどんなに不幸と思っても思われてもそのこのことだけにはやさしくする。
例えば飛行機の添乗員さんがなんだか苛々していて、それを見るわたしも少し苛々するのだけれど、そんな自分に気づいたとき彼女の中にいる少女のことを思い浮かべてみる。膝を抱えてさみしそうにしている少女の、その満たされなさに水でもあげたくなって、優しい気もちになったとき、そのとき同時にわたしの中にいる少女も少し潤った気がしました。
小さくて、幼い、それでいて純粋なその子のことは守れるのはわたししかいないから、でも、遠くにいる女友達の少女たちもしあわせでありますようにって思っています。彼女たちが無邪気に野原を駆けまわれるような世界になったらいいなって思います。(男の子の中にいる人は何て呼ぶのかな、わたしにはまだよく分からない)
川上未映子が書く少女はいつもひとりで分かち合えないものを大事に抱きしめて行き場をなくして立ち尽くしている。そっと手を当ててやると光が少しあたるようで、彼女が喜ぶとわたしもうれしい。おまじないや活元や愉気はわたしにとっては主にその子のためにある。

日々バイクで営業して回るなんてよっぽどマッチョな仕事だと思うのだけれど、冷たい雨でカッパ着て身体が冷えたときとか、もう自分なんてどうにでもなれという捨て鉢な気もちとその中にいる少女を守ってやらなきゃっていう優しい気もちがふたつある。両方ありだと思うけれどわたしは後者を大事にして、反マッチョ運動をしていこうと思います。今日の夜の飲み会でそんな話をしていたらみんなに笑われた。

今週は茨城にいたのでした。どのつく専業地帯、きつかったけれど、やっぱりわからないものはそこいらじゅうに転がっていて、面白がれたらいいなあと思う。
海外の実習生制度ってやっぱりなんだかぞわぞわします。違う文化と言葉を持った人を家の仕事に使うってどんな感じだろう。それこそ、おなじ生きものである人間として対応できる人とそうでない人がいる気がした。介護にも海外からの実習生を呼ぶと新聞に載っていました。
この、多国籍になること、じぶんの周りに違う国の人たちが増えることへの恐れはどこからくるんだろう。対等に理解しあうというのは同じ日本に住んでいても難しいのにそれがさらに難しくなりそうで怖いのかな。理解できないものへの恐れは簡単に暴力的なものになると思うから。

世界はよくわからないもので満ちていて、変わること・変わらされることを怖がるわたしはひとつひとつに毎回おののいているけれど、でもだから毎日がおもしろくて、なにか発見した時は、きっとこれはわたしがいちばんに見つけたものだと好きなひとにくちぐちに告げて回りたくなります。

買い物をして帰ってくるときは大荷物で、むかしの人が村を降りて、家族が必要なものであったり、ちょっとした晴れ着や子どもたちへのお土産を町に買いにいくのはこんな感じなのだろうかと思いました。薄給に見合わない買い物をするのも一興。蛍光ペンはインキカートリッジのやつで、ノートはLIFEという薄くて丁度いいサイズのやつで、シャンプーは頭皮やそのへんの生きものにもいいかんじのやつ、という一見どうでもいい買い物の変なこだわりは、そんなに窮屈なものではなく、わたしの身の回りにあって日々守ってくれるおまじないみたいなもの。

今日買ったもの
・文房具
・色鉛筆
・ノート
・本
・シャツ
・長袖
・インスタントコーヒー
・化粧水、乳液
・シャンプー、リンス
・地図帳
・リュックサック

髪は切らなかった、靴も買わなかった。