2013年11月1日金曜日

立ち戻る場所

仕事をするようになって、半年とちょっと。少しずつ慣れてはいるけれど、やっぱりたいへんなときはたいへんで。身体が大変ならこころも。自分がどう働きたいのか、何がしたいのか、人とどう接していくのか。立ち戻れる場所があるということが大切なのだと思う。

↓携帯のメモから。

わたしに方向を示してしてくれた人のひとり、西村佳哲さんの新刊「ひとの居場所をつくるーランドスケープ・デザイナー 田瀬理夫さんの話をつうじて」読みながら、自分がいまあちこちの農村で見ていること、考えていることを重ねて。この仕事をしながらまだたくさん見て考えて知りたいことがたくさんある。と思えることが嬉しい。感謝。

もちろん、人とつながりたいという意識はあるけれど、わたしはこの地と山と川と海と生き物たちともつながっていたい。つながりながら暮らす方法を考えること、暮らしていきたいということが私の今のモチベーションになっている。

ということに今日気づいた。

昔はじぶんたちで屋根を葺き、機を織り、大豆を作っては味噌や醤油をつくり、身の回りにあるものを使って、自然に手を入れて、暮らしを営んでいた。じぶんの身体をじぶんでケアする方法だってみんな知っていた。

わたしはそれをただ懐古しているのではなく、もともと持っていて、近代化の過程で失ってきてしまった暮らしや身体の技術や知恵をとりもどしたい、そしてまたつないでいきたいのだ。




来月は西村さんと田瀬さんが福岡に来て、ワンデイフォーラムが開かれる。楽しみ。




これは昨日あったいぐさ農家の作業場。いぐさ農家はいぐさを育てて刈り取ってじぶんで加工するところまでやっている。中国から安いいぐさが入るようになって、この辺りのいぐさ農家も随分減ったらしい。田んぼに突っ立っているそれが畳になるのだと思うと不思議だ。よく考えたなあ。

今の仕事をしていると、まいにち、あたらしく、たくさんの人に出会う。
たまにお茶を飲みながらゆっくり話すときもあるけれど、それはほんとうに限られた時間で、ある日のある時間を一緒にいさせてもらうとき、短い時間の中で、何かが「つうじた」と思う瞬間があって。短いやり取りの中で、その人の本質、というと変かもしれないけれど、むかしのことや家族のこと、村のこと、じぶんがつくった作物のことをうれしそうに語るひとのそのなかに、ぴかぴかと輝くものが見える。
わたしはその瞬間のために仕事をやっているのかもしれない。いつだってそれは感動的で、そのありようはひとりひとり違うのだけれど、でもいつだってそんな喜ばしいものに触れていたい、近づきたいと思っていて、そのためにどうしたらいいのか、ちゃんとひとに向き合うこと、全身で声をきくこと、そんなことができるようになったらいい。
そしてもっと欲張っていうなら、わたしが出会った素敵なひとびとのことを忘れないように、じぶんの記憶に刻み付けておきたい。

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