2014年1月28日火曜日

七代先

「七代先のことを考えろ」というのは世界中、どこの民族でも言われている格言なのだそうだ。
と、世界各地の先住民の地を旅した人が教えてくれた。

今の社会にあるものはほとんどそんなことが考えられていなくて、確かに原発とか、化学兵器とか、農薬とか、人工的に一時的な欲を満たすためにつくられたものというのは、ほんとうにその場限りのもので、ほんとうに先がないものばかりだ。そんなものしかつくれないというのは、すごく貧しいことだろうなあとおもう。
考えてみたらわたしたちの身の回りにある仕事のほとんどは、その一時的なものをつくり出したり、それをサポートしたりする仕事ばかりじゃないだろうか。七世代先、とはいかなくても、もう少し未来のことを想像しながらやっている仕事があまりにも少ない気がする。

仕事というのは本来、そういうものであったのではないだろうか。祝島で見た平さんの棚田は、3代先の子供たちが食べるものに困らないようにと、膨大な時間をかけて、大きな石を一つ一つ積んでつくったものだった。日々の生活と七代先のことが地続きである仕事。
仕事=お金を得るためにすることと、その意味が矮小化されてしまったのはどうしてだろう。仕事も生活も目先のことだけ考えすぎたせいだろうか、あまりにも遠くて、どうにもならないような感じになっているのがやるせない。

先の人からは、今のスーパーで売っている野菜は、本物ではないから腐る前にとろけてしまうんだよと言われた。土だと思っているものや、野菜だと思っているものがそうではないとしたら、それを土だと思って、野菜だと思って一生懸命つくっているひとたちはどうなるのだろうと思って、悲しくなった。

お正月に、久々におじいちゃんやおばあちゃんと会って、彼らがいきてきた時代のはなしや、その前の時代の話を聞いて、じぶんのルーツをおもったときに、いのちというものはつながっていて、だからこそわたしがいまここにいられるのだと、すごくながいスケールでじぶんのいのちのことをおもうことができた。そして、これからじぶんのいのちが次のいのちにつながっていくのだから、それが直接的になるか間接的になるかはまだわからないけれど、七世代先のことを考える、という意味が少しだけ分かるような気がした。

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