2013年12月30日月曜日

としのおわりに

ながいながいいちねんでした。
ものすごい濃いいちねんで、2,3年分いっぺんに歳をかさねた気がします。
べそをかきながら仕事をしていたときもあったけれど振り返ってみるととてもすばらしいいちねんだったな。


12月のこと
とくに12月はすばらしかった。
すばらしかったのにはいろいろ理由があるけれど、その一つは自炊ができたということ。
4月に会社に入ってから、ずーーっとしていなかったこと。毎日農村を回りながらなんでも自給している農家にあうたびに、羨望のまなざしで見ていた。
暮らしをだいじにしようなんて言いながら本を売り歩いているのにもかかわらず、お昼はコンビニで済ませることが多かったり。朝夕はたいてい宿のごはんだから何も選ぶことができない。
コンビニっていうのは、あるひとにとっては欠かせないものかもしれないけれど、わたしはできるだけ使いたくない。別に恨みがあるわけではないけれど、コンビニに依存せず生活できるようになりたいとおもっている。
コンビニで買うおにぎりの裏をみるとげんなりする。おにぎりにかぎらず、売っているものすべて、パンでも飲み物でも裏側の原料の部分を見るとげんなりしてしまう。じぶんのからだの中に入れるものなのにとても遠いのだ。誰がつくったのか、何が入っているのかよく分からないからそれを食べるというのはげんなりを通り越してこわいくらい。

ごはんと味噌汁と少しのおかずがあれば豊かな気持ちになれるのだもの。自炊をすると誰がどんなふうにつくったものを使っているのか大体わかるからね、身体も心も安心して消化しようってなるのじゃないかな。それから人と一緒に食べるっていうのもとてもいい。素敵な仲間と一緒にご飯をつくってご飯を食べるってすごくすごく幸せなことだとしみじみ。

そんなこんなで食べ物をつくること、食べ物をたべることにいま並々ならぬ熱をあげています。
食べ物を軸に世界を見ると、TPPとか、遺伝子組み換えとか寒々しいはなしばかりが目につくけれど、身近にいる農家の食卓や家周りをみると、あ、柿が干してある、芋が干してある(えひめでは干しイモのことを「ひがしやま」って言います)、あ、千切り大根が干してある、シイタケが干してある(基本農家は家の周りになんでも干すんだね)、味噌をつくっている、豆腐をつくっている、漬物漬けてる、という姿や景色が毎日飛び込んできて、生きることと食べ物をつくることがもうほとんど一緒みたいな。
シカ肉とかイノシシ肉とか、自分で捕ってきたものを食べているひともいる。しまいには畑を荒らすイノシシを捕まえた後自分の家で飼って、まるまる太らせたのを食べているひともいる。
家畜になったイノシシはただの豚です。家畜と農家の関係がまた面白いのです。わたしはそんな光景にほっとします。美味しいものをいちばんしっているのは農家だとおもう。


つくりだすこと
じぶんが生きるのに必要なものをじぶんでつくるというのはとても豊かなことで、にんげんには欠かせないことだとおもうのです。それは食べ物だけでなく、衣食住すべてそう。もっと言うと、手を動かして何かをつくるってことはすべて人間が人間としているために必要なことだとおもう。手を動かせない人もいるのだから、もっともっと言うと、自分の頭で考えること、口にすること、それを表出させることすべて。じぶんがひつようだ、やりたいとおもってすることすべて。

でも本当にこころからやりたいとおもっていることができている人ってすごく少ないんじゃないかな。安倍晋三はぜったいやりたいとおもっていることができていないとおもうんだ。というか、やりたいとおもっていることが自分の身体とかけ離れすぎているとおもう。固くなった頭のすごく狭い部分でなんか思い込んでしまったことを馬鹿みたいに手離すことができないで、執着しちゃって、自然と逆の方向にすすんでいっている、という感じがする。


安倍晋三
とても嫌いです。農村には自民党のポスターがたくさんある。バイクに乗りながら彼のあぶらぎった顔を見かけるたびに胸にどろどろっとしたものができるのがわかる。
嫌い、と書いたけれど、この嫌いのもとを探っていくと、彼自身ではなく、彼がもつカルマというか毒のようなものに行きつく。この毒はわたしも持っているものだ。たぶんだれでも持っているものだ。

けれどその毒っていうのはみんな日々の生活の中で要所要所で抜いているものだと思う。気詰まりって言葉があるけれど身体を流れているべき「気」がもうたくさんたくさん詰まって固くなってこぶみたいになってしまって簡単には取れなくなってしまっている、というイメージ。彼の持っているこぶには彼のおとうさんやおじいちゃんから引き継いできているものもあるとおもう。そういう意味で言うと、日本という国が溜めてきた毒もたくさんあって、彼はまさしく国の首長としてそれを象徴しちゃっている。

ちょっと話が抽象的になりすぎているけれど続けて考えてみる。
震災、原発事故で放射性物質という猛毒がたくさん出て(今も出続けている)、それでもまだ出きったわけではなくて、もうぱんぱんに毒がたまっている。原発のことをトイレなきマンションとよく言うけれど、土に還せない毒をこれだけ溜めてきてしまっているというのはどう考えても異常なことで、異常なことを許し続けて(見過ごし続けて)経済成長とかいうものを遂げてしまった日本という国も相当異常な国だとおもう。
そしてもう取り返しのつかないことが起こってしまったのだけれど、それに気づかずおんなじかそれ以上のことをしようとしているおとなたちがたくさんいるっていうのは本当に異常。

感傷的な話になるけれど、原発の事故でたべることのできなくなってしまった海の幸、山の幸、魚とかシイタケとか、生活していくことができなくなってしまったひとやもののことを考えるとほんとうにやるせなくて、腹が立ってしまう。自然の恵みを一身に感じながらいきてきた農家の人たちのことを考えると、なんてことをしてくれたんだと、誰かに怒りを向けてしまいたくなる。震災後、仙台で降っている雨におびえた日を思い出すと涙が出る。わたし自身も事故がおきるまで自然というものをあまり考えてこなかったけれど、無意識のうちにいつでも帰れる場所だと思っていたのだと気付いた。帰れなくなることがあるなんて、考えたこともなかったのだ。

たべものを食べてもたべものをつくったことがない人というのは、想像することができないのだろうか。震災で被害を受けた女川原発も再稼働しようとしているし、外国にも原発をどんどん輸出していこうだなんて、どうしてどうしてできるのでしょう。

狂っているとおもう。
風の谷のナウシカでドルクの皇帝が(漫画でしか登場していなかったかも)最後にやせっぽちのひとりぼっちの妖精みたいになって消えてしまったのだけれども、そうなる前のどろどろの毒まみれの皇帝である彼と安倍晋三といまの日本の状況って似ているなと思って。
原発事故という悲惨な状況でしか毒は出せないのだろうか。
秋葉原の殺人事件の容疑者だってほんとうにひとりぼっちで自分で毒を出すことができずに膨れ上がってコントロールしきれなくなった毒を外に向けてしまったんじゃないかな。彼やその毒を浴びせられてしまうひとのことをかんがえるともう本当にやるせなくなってしまう。

次は戦争だろうか?どんどんとそういう方向に進んでいるような気がするのだけれど。そんなので毒を出されるのはまっぴらごめんだとおもう。
だからこそ、おのおので自分の毒は出してほしい。ひとを傷つけない方法で。わたしもそうしようと思って冷え取り健康法だとか、食養だとか、みくさのみたからとか、いろいろな毒の出し方を試しています。


みくさのみたから
毒気のないひとって顔が晴れやか。気詰まりがなくて、身体じゅうにいいエネルギーが満ちて、それが外とつながって循環している感じ。毒の出し方はひとそれぞれで、じぶんのしたいことをしていたり、すばらしいものをつくっている人たちっていうのはあまり悪いものがたまらず、便秘にもあまりなってなかったり、持ち物に執着がなかったり、あけっぴろげで解放感があって、わたしはそんなひとがたまらなく好きです。そんなひとに出会えるとこちらもとてもうれしくなるし、いい気がめぐる気がする。
自然とそれができてしまえば多分いうことは特にないのだけれど、やっぱり生きているとしんどいことは必ずあるし、悩むことだって結構あるものだ。

そんなときにわたしがお守りのように大事にしているものがある。聖書でも神様でも仏様でもなくて、みくさのみたからという、ひとびとが伝えてきた、ひとびとのからだの術。くさのたみのみっつのたから。

これを教えてくれた飯田茂美さんと大学時代に出会って、一緒に舞台をつくりました。

春風のなか、ちいさな街

この創作過程で、舞台のことだけでなく、自分の身体を生きていくためのものすごく面白い術を教えてもらった。今彼はこのみくさのみたからを世界中のひとたちに伝えるために、世界中飛び回ってワークショップをしている。

飯田茂実わくわくショップ・冬の諸國めぐり一覧

たぶん言葉ではうまく伝えられないので、みくさのみたからを知りたい人は直接、彼に会って、いっしょに身体を動かすといいと思います。

みくさのみたから
ひとつ。ちのみちをとおすこと。
ふたつ。まじないかじること。
みっつ。たなそえること。

ちのみちを通すのが気を通す、みたいなことで、身体を気持ちのいい方向にうごかしながら気詰まりをなくす、毒を外に出すこと。整体の世界では活元運動ともいう。ちのみちはいきものすべてに流れるもので、これを通してやると、だいたいのことはどうにかなる。悩みというのは身体の詰まりから来ているものでもあるのだ。

まじないをかじるのは、そのまま。おまじないを唱えること。おまじないは呪いのことばではなくて、じぶんだけの喜ばしいことば。毎日自分はだめだ、ってつぶやいていたら多分だめなひとにしかなれないとおもう。毎日自分はついている、ってつぶやいているひとは、なにがあってもついているのだ。
わたしはほぼ毎日、「ありがとう、ごめんなさい、愛しています」と口に出して唱えたり、心の中で唱えたりしている。宗教でだれかをあがめて救いを求めるのではなく、自分のことばで自分を救えるのだ。
これはハワイでホ・オポノポノと言われるおまじないでもある。ほかにも自分でこうであったらいい、という喜ばしい言葉を「~である」という言い切り型、「~になっていく」という未来型で唱える。
唱えていても大変な時はあるけれど、そんなときに唱えることばがあるというのはとても心強いことで、お金もかからないし、誰かに仕えるわけでもないし、誰かを呪うわけでもないし、自分がこうでありたいという自分に近づくだけなのですごくピースフルで簡単なこと。

たなそえるのは、手を添えること。手当て、とも愉気、とも言う。治療することを手当てというけれど、もともと傷を治すときにひとは手を添えて直していたから今でもそういうのだろう。本当に手をそえるだけでいいのだ。じぶんやだいじな人に。手を当てられるととてもあたたかくて心地いい。
ひとりぼっちでさみしい夜、悲しい夜、疲れ切った夜、寝る前に自分の目や胸に手を当ててやる。だんだんと自分の手のぬくもりが感じられて、手を当てられている自分の身体が愛おしくなってくる。
このあいだそんな話を先輩にしたら、じぶんもやってみたけれどなんだか良かったよと言ってくれた。
手を当てるだけの簡単なことだけれど、意外にみんなやっていないもので、じぶんでやるのも気持ちいいし、人にやってもらうのはもっと気持ちいい。
背中ががちがちに固まってしまっているひと、ひとから身体を何十年も触られていない人。そんな人に手を当てるとふわっとからだが緩むときがあって。泣き出す人もいる。

飯田さんが全世界の人が皆愉気をするようになったら戦争は起きなくなるだろうって言っていたことがあるけれど、わたしも本当にそうおもう。頭がガチガチに固くなってしまっている人に愉気をしてあげたい。安倍晋三は嫌いだけれど、愉気をしてあげたいとおもう。
愉気をすると面白いのは相手がどんな人であれ、わたしがその人に対して複雑な感情をもっていたとしても、愉気をしている間は、その性格上の問題とかは気にならなくて、手をあてている身体、いのちを大事にしようとおもえること。あたたかな血が流れるいきもの、いのちであるということがすごくよくわかるから。

このみくさのみたからがあったから、このいちねんもなんとか乗り切れた。たくさんつらいこともあった気がするけれど、やっぱりすばらしいいちねんだったとおもえる。
本当に、ありがとう、ごめんなさい、愛しています、という言葉ですべてが事足りてしまう。


ありがとう、ごめんなさい、愛しています。


来年はきっともっと大変な年になるとおもう。国も環境も。
でもおまじないのパワーってすごいもので、どれだけネガティブなことがたくさんあっても、希望があるような気がするし、ちのみちを通しておけばひとと気を通わせることもできる。
すばらしい出会いがまたたくさんある気がします。

2013年12月3日火曜日

たべものをつくる



ひさびさに少し時間ができたのでさいきん起きたこと、思ったこと、出会ったことなど。

場所は熊本から岡山・愛媛へ。

熊本は6月からずっと回っていて、ひととおり終えた感じ。

まいにちたべものをつくっている人の場所へ行く。スーパーで売っているたべもののこと、わたしはどこまで知っていただろうか。

ハウス農家地帯を回ると、整然と並んだトマトならトマトの木にいかにずらりと同じ規格のものがたくさんつけられるかということに皆が腐心しているのかがわかる。

トマトって普通に作ったら夏のたべものだ。でもわたしたちは一年中食べたい。一年中作りたい、というよりは一年中食べたい人たちがいるから一年中つくるひとたちがいなければならなくて、冬にトマトをつくるには、熊本であってもハウスで、そしてたくさん暖房を焚かなければできない。
一年間にかかる資材費と、油代の額を聞いて驚いた。

わたしは知らなかったけれど、おととしくらいにどこかの偉い人がテレビでトマトの効用について一説ぶったらトマトのブームが来て、たくさんトマトが売れるようになった。だからトマト農家はたくさんの人が食べられるようにとトマトをたくさん作ろうとする。設備投資をたくさんして、雇用を入れて規模を拡大した人も多かった。でも、ブームはブームだからこれからまただんだんと消費は減っていくのではないかという人もいた。

規格についても、同じ大きさのものしか市場には出せないから揃いがよくないと困る。食べる分には大きさが違っても全く困らないと思うのだけれど、スーパーでは色づきとか、形とか、大事だから、市場や農協が農家にそれを要請する。直接お客さんに野菜を出しているという例外的な人でなければ、形、大きさというのは致命的なものなんだと思った。

熊本で取れたトマトを東京まで運ぶのは時間がかかるからほとんどの人はトマトを完熟ではなく青いうちに収穫する(市場に出して、スーパーに並ぶまでに追熟させる)。完熟トマトと追熟味は全然違くなるとのこと。

おんなじハウストマトをつくっている人でもいろんな人がいて。
農協が薦めたとおりの防除をして、買ってきた化成肥料を使って、土がだんだん痩せるようなつくりかたをしている人もいれば、自分たちで菌をつかって微生物の力で土を肥えさせようとする人もいる。規模を拡大させるために外国人労働者を安い賃金で雇ってたくさんの面積をこなす人もいれば、家族で手の回るぶんだけでいいのだという人もいた。中国人やベトナム人をたくさん入れて(研修生として入れるとさらに安くなる)トマトをつくっているようすは少し気味が悪いと思ってしまった。

農協も地域によって色が違うとは思うのだけれど、農家のための農協というよりは農協のための農家になっているのではないかと言う農家の人たちは多かった。
防除や農薬についての指導というのは如何に農家をもうけさせるかという点ではなく、いかに農協を通じて資材を買ってもらうかというところに重点が置かれているのではないか、とか。
それを意識的に見抜いて、自分なりのやり方をして、自分なりに付き合っている人と、農協さんが言っていたからねとむかしからの慣行栽培を続ける人と。たべものをつくることに情熱を持っていやっている人もいれば、疲弊して、言われるままやるしかないような人もいた。




宇城市の小川町では、有機で生姜をつくっている森田さんという人に会った。森田さんの生姜を使っているひとたちが、「これは森田さんの生姜なの」と、うれしそうにそのことを話すのが印象的だった。写真はお寺で出してもらったお茶請け。お湯でといた葛に森田さんの生姜と蜂蜜をかけていただいた。

八代市の東陽町でもたくさん生姜つくられていたけれど、ほとんどの人がガス消毒をして土を無菌状態にさせてつくっていた。連作障害を起こさないように。毎年たくさんの生姜がつくれるように。そのときはへえ、と思って聞いていたけれど考えてみると、無菌状態にしてしまうって大変なことだ。わたしのからだの中にだって、いい菌、わるい菌、たくさんの菌がいるけれどそれを良いも悪いも全部殺してしまうくらい強い薬を土に入れているわけだ。
森田さんは、見えないところで薬をかけたものを食卓で食べれたとしても食卓で薬かけたものはたべないでしょうと言っていた。わたしたちが普段買っているものは、前者のようにしてつくられているものも多いだろうと思う。淡路島のモンキーセンターのサルがアメリカから来た作物を食べるようになってから奇形が増えたのはポストハーベストの影響だったというマクガバン報告の話や、玄米生食を心がければ7年で浄化される話も教えてもらった。

農家の人たちは病気を恐れているのだけれど、その対処の仕方というのは人間が病気になった時の対処の仕方がいろいろあるように、ひとによって全く違う。農協の言うとおり防除をする/肥料をふるのは、医者の言うことを鵜呑みにしてじぶんのからだの声を聞かず薬を飲むことに似ているような気がする。

森田さんが有機農業を始めたのはこうした思いもさることながら、牛肉オレンジ自由化などの外圧を受けたこともあったそう。そうした情勢に左右されない農業をやろうと思うと、化成肥料や農薬など、外から来たものをたくさん使う慣行栽培は難しい。そういうものに頼らずに、土を肥やして野菜をつくっているのであれば、だいたいのものは自給できる。
あと、有機野菜は高い、というイメージがあるけれど、自分はその年の出来不出来に関わらず野菜の値段を変えないで、商品化に走らないように、「たべもの」をつくっているんだと言っていた。
たべものと工業製品を区別してたべものをつくっている人って案外少ない。指導された通り、もしくは利益を最大にするために野菜をつくっている人たちをみると、工場と何が違うのかなと思うこともある。もちろん技術というのはどちらにとっても必要だけれど、たべものはいのちなので、物理性だけではなくて生物性や自然を理解しないとつくれないものなのだ。


トマト農家の人で、安全性や環境に配慮した農業は大事だと思っているけれど、いちばん重要視しているのは生産力をあげて、みんなが食べられるものをつくる、ということだと話してくれた人もいた。
TPPがはじまったら、多分低収入の人は安いものしか買わなくなる。だからこそ、自分も収量をある程度保ち、多くの人が食べられる値段で売れるようにしておきたいのだと言っていた。環境に配慮してつくったものでも高すぎて近所の人が買えないものになったら意味がないと。

たしかに、有機野菜を買える人ってたべものに気を遣ったりお金を使ったりする余裕のある人が多い気がする。
それでも、栽培方法というのは、わたしたちが要請しているものでもある。というかわたしたちの要請が本当に大きい。農家の人たちのことを知らず、農家がどうやってたべものをつくっているかを知らず、そもそも自分が食べているものが何でできているか、どこでできているかも特に考えずに値段という価値基準の元だけに、自分のからだに入れている人たちってたくさんいるんじゃないだろうか。わたしだってひとのことを言えたものではないけれど。


じぶんのからだに入れるものから世界を見ると、いろんなものが見えてくる。
たべものは、わたしを生かすためのいのちで、いのちに優劣はないから何にでもありがとうごめんんなさいあいしていますと感謝してからだに入れたいと思う。
それでも、どんなふうにじぶんのからだをつくるいのち、たべものがつくられるといいのか、ということは農家の人たちだけでなく、わたしたちこそが考えていかないといけないと思うのだ。

からだのこえを聴く

服部みれいさんの『自由な自分になる本』に載っていた「月経血コントロール」というもの、やってみている。まだ上手にできているとは言えないけれど、意識すると、ちがうものだ。

月経血コントロールは生理がきてから、月経血を膣内にためておいて、トイレで排泄すること。昔の女性は、下駄をはき、鼻緒を指でしめ、内また気味に歩くということを日常からやっていたから自然とこのコントロールができていたそう。

三砂ちづるさんの『オニババ化する女たち』にもこの話が書いてあって、できたらいいなと思っていたのだ。で、今回はじめてしっかり意識して試してみている。布ナプキン手元になかったのでガーゼを8枚重ねにしたものを2つ使ってみた。昨日今日と外へ出ず中にいられるので試しているけれど、やはり、紙ナプキンみたいににおいが気にならなくなるし、自分の手できれいにするから捨てるものもないし汚物感がなくなる。あと、できるだけ布を汚したくないからコントロールするぞ、って感じにもなる。
トイレの汚物入れって嫌いだったのでそれにお世話になる必要がなくなるっていうのもうれしい。

みれいさんの本にも載っていたけれど、赤ちゃんのときが紙おむつで、生理が来るようになったら紙ナプキンで、お年寄りになったら尿漏れ防止の紙おむつをするようになると思うと、人生の中で結構長い間おむつに世話になることになるわけで、そういう売り場に行くと、赤ちゃんから介護用までのおむつがずらりとならんでいて、ちょっと恐ろしい。
くすりに頼りきりであることも、おむつに頼りきりであることも似ていて、じぶんではなく、外部のものに、お金を出してじぶんのからだを預けることにわたしたちは無意識のうちにならされている。たべものだってそうだ。昔は物がなかった、というのもあるけれど、もう少しじぶんのからだのことはじぶんで面倒見ていたのではないかな。その感覚を少しずつでも取り戻していきたい。

このあいだ、先輩たちと整体の話をしていたのだけれど、わたしは気持ちよく身体をうごかせればいいと思っていて知識として知らないことがたくさんあって人に説明できなかった。いいものでもじぶんだけできてもしょうがないし、人に伝えられるようになりたいと思うので、いろいろ勉強したいな。
とりあえず、今、片山洋次郎さんの『骨盤にきく』をもういちど読み返していて、三枝龍生さんの『からだは何でも知っている』を読んでいるところ。
忙しいのはあるけれど、忙しくて時間がない、を言い訳にして、じぶんのからだのことをひとまかせにしたくない。一生つきあうこのからだのこと、少しづつでも知って、いろんなひととシェアできたらと思う。飯田さんからの宿題でもある。