2014年1月28日火曜日

七代先

「七代先のことを考えろ」というのは世界中、どこの民族でも言われている格言なのだそうだ。
と、世界各地の先住民の地を旅した人が教えてくれた。

今の社会にあるものはほとんどそんなことが考えられていなくて、確かに原発とか、化学兵器とか、農薬とか、人工的に一時的な欲を満たすためにつくられたものというのは、ほんとうにその場限りのもので、ほんとうに先がないものばかりだ。そんなものしかつくれないというのは、すごく貧しいことだろうなあとおもう。
考えてみたらわたしたちの身の回りにある仕事のほとんどは、その一時的なものをつくり出したり、それをサポートしたりする仕事ばかりじゃないだろうか。七世代先、とはいかなくても、もう少し未来のことを想像しながらやっている仕事があまりにも少ない気がする。

仕事というのは本来、そういうものであったのではないだろうか。祝島で見た平さんの棚田は、3代先の子供たちが食べるものに困らないようにと、膨大な時間をかけて、大きな石を一つ一つ積んでつくったものだった。日々の生活と七代先のことが地続きである仕事。
仕事=お金を得るためにすることと、その意味が矮小化されてしまったのはどうしてだろう。仕事も生活も目先のことだけ考えすぎたせいだろうか、あまりにも遠くて、どうにもならないような感じになっているのがやるせない。

先の人からは、今のスーパーで売っている野菜は、本物ではないから腐る前にとろけてしまうんだよと言われた。土だと思っているものや、野菜だと思っているものがそうではないとしたら、それを土だと思って、野菜だと思って一生懸命つくっているひとたちはどうなるのだろうと思って、悲しくなった。

お正月に、久々におじいちゃんやおばあちゃんと会って、彼らがいきてきた時代のはなしや、その前の時代の話を聞いて、じぶんのルーツをおもったときに、いのちというものはつながっていて、だからこそわたしがいまここにいられるのだと、すごくながいスケールでじぶんのいのちのことをおもうことができた。そして、これからじぶんのいのちが次のいのちにつながっていくのだから、それが直接的になるか間接的になるかはまだわからないけれど、七世代先のことを考える、という意味が少しだけ分かるような気がした。

もらいすぎているひと

「わたしちょんぼなのよ」と突然出会いがしらに50代くらいの女性に言われる。
彼女はどうやら自分が未婚であるということを言いたかったようで、でもそれをあっけらかんと言われたので、わたしは面食らってしまった。もうこの先こどもをつくることができないこと、とか、つれがいないこと、とか、そうであることの悲しさというのは多分ひとことでは言い尽くせないものだろうけれども、彼女はなぜだか明るくて、いろいろなものへの感謝を口にするのでわたしはちょっとわけが分からなかった。

年老いた父と母の世話をしながら、花と野菜と枇杷をつくっている。わたしは突然やってきて、話しかけただけの人で、彼女に何もあげたわけでないのに、これ持って行ってと彼女がつくっているユリを持たせてくれた。骨ばった特徴的な顔立ちの人で、わたしは青森出身の友人のことを思い出した。

彼女にかかると、じぶんはもらってばっかりいるそうで、それはモノとかお金とかではなく、旦那さんはもらえなかったけれど、ほんとうにいろいろな人に良くしてもらっていて、こうして農業ができるのも、みんなのおかげで、たくさんのものをもらっているから、わたしもあまり損得考えずなんでもひとにあげるのよと言っていた。ひとにあげると自分に返ってくるでしょうと。
あげすぎているからもらうのか、もらいすぎているからあげるのか、は分からないけれどとにかくわたしはユリをもらい、不思議な気持ちで彼女と別れたのでした。奇跡のような出会いが、まいにちあることに感謝します。もらいすぎているひとはわたしだ。

2014年1月27日月曜日

めぐるからだ

今月もまた、生理がめぐってきた。
月に一度、生理が来ることでわたしの身体はいろいろなバランスをたもっているようで、毎回生理の前は調子を崩すのだけれど、先週は熱っぽくて、妙にイライラして体調が悪かった。なんだかんだ言っても、まだわたしは自分の身体のことをよく知らなくて、自信がないから、体調を崩すとこころ弱くもなってしまう。パブロンを飲む?と先輩に言われてお断りしたのだけれど、確かにひとりで寝ていると自分の身体というものは頼りなく思えて、何かに頼りたい気持ちにもなる。でも毒を出し切った後の身体というのは軽やかで、わたしもこんなにしなやかないのちを持っていたのかとありがたいきもちになった。
身体に余裕がなくなると心にも余裕がなくなるから、卑屈になったり、ひとのことを悪く思う自分が顔を出して、でもそんな自分も嫌いになるのだからいいことはひとつもない。
こころも小さくなったり大きくなったりを繰り返している。熱が出きって、体にたまっていた毒が出ると、そういう症状を笑うこともできて、変化して、変わっていくじぶんのいのちを愛おしくおもう。

身体がどういう状態であるかでこころも変わるから、身体の状態次第でその日その日の出会いが変わるのだ。いい出会いができる日はいい身体である日で、ぐずぐずとしているときは、視野が狭くなってどうでもいいことに執着して、どうしても出会いをありがたくいかせなくなってしまうものだ。
まいにちまいにちを感動して生きることができるのは、まいにちまいにち自分の身体のことをだいじにできているからで、自分の身体を粗末にしないことは、自分の身に入れるものや身に着けるもの身の回りにあるものを大事にすることであるわけです。

2014年1月13日月曜日

桜島のふもと、宇宙人



鹿児島へやってきた。
いちねんくらい前にともだちと遊びにやってきて以来で、そのときはただあそびでまわっただけだったけれど、こんかいは仕事なので、この土地で土を耕す人たちとたくさん話す。

わたしが通っている場所は、大隅半島の西側、錦江湾に面していて、桜島のふもと。
常に煙を吐き続けるおおきな山を毎日みて育つというのはどういう感じなのだろうか。
地域で暮らす、というのはその土地のけしきが血肉化されて、その人をかたちづくっている。だからかわからないけれど、彼らは、わたしにはない情緒をもっているような気がする。桜島の情緒、だろうか。桜島だけではなくて、高隅山とか、近くには七岳とか、錦江湾に沈む夕日とか、ものすごく、自然がむき出しで、植生も違って、木がわさわさしていて、とにかく、わたしにとっては異国なのだ。

いつだって、ひとと出会う中で、たくさん感動させられるのだけれど、先週、すごくすごくうれしかった出会いがあった。

ひとつは、千秋ちゃんとの出会い。千秋ちゃんはわたしと同い年で、大学を出て、ひとりで農業をはじめた。野菜は露地で、無農薬で、季節のものをすこしずつつくって、学校給食に出したり、道の駅に出したり、個人販売をしたりして生計を立てている。
彼女は県立大の農学部に行っていて、皆が就活をしているときに「農活」をしていた。農業委員会にかけあって、借りられる土地をさがしていたのだそうだ。
父親や母親は勤めていて、休みの日は手伝ってくれると言っていたが、ほとんどの日はひとりで、畑を耕し、野菜をつくっている。笑顔がとても晴れやかで、気持ちのいい人だった。
同じ年だから、同じ女の子だから、想像するのだけれど、いちから農業をはじめるのは、もちろん簡単なことではなく、無農薬でやりたいという意志を貫くためにはずいぶんと苦労をしたはずで、でも千秋ちゃんが育てたブロッコリーはすごくきれいだったのだ。
そんなひとに出会えたのがほんとうにうれしくて、もう泣きそうだった。たくさん握手をして、友達になりました。

そして、千秋ちゃんは震災のときに、東北に行って手伝いができなかったことを悔やんでいて、いまでも何かしたいとおもっていると言っていた。東北で、農業をしている先輩たちが大変な思いをしているとおもうと、悲しくて、じぶんもなにか手伝いたいのだと言っていた。
先輩たち、という言い方。遠く離れていてもそういうつながり方があるんだと、土を触る人たち同士の連帯感というか、その確かなかんじがすごくいいなあとおもった。

その次の日に出会った人も、事故が起こってから、自分は福島の人みんな、東北の人みんな、鹿児島においでよと言ってあげたかったから、自分は市長にそう頼んだのだと言っていた。

距離的にこれだけ離れていても、ひとは思いを寄せることができて、その考え方が正しいとか間違っているとか言うつもりはなくて、おもってくれているということだけでわたしはとてもうれしくて、そのやさしさに、ただ勝手にありがとうとおもうのでした。

もう一つの出会いは、これも若い夫婦で、3年前に奥さんのおばあちゃんの家に移り住んで自然農法でお米やお野菜をつくっている山田さん。
行ったら子どもたちと一緒にそとで洗濯物を干していた。山田さん夫婦は二人とも東京や奄美大島で環境保全の仕事をしていたらしい。生き物に優しい暮らしがしたいと思って農業をはじめた。
「地域を変える、田畑を変える、農業を変える、食を変える、暮らしを変える」がモットーで、カエルをトレードマークにしている。カエルはふたりが生態系の調査などで追っかけていた対象で、家にはカエルグッズがたくさんあった。
ひきがえるを飼っていて、子どもたちがみせてくれた。



このカエルの話を聞いて、仙台で活動しているカエルノワというお母さんたちの団体を思い出してうれしくなった。

ふたりとも、バランス感覚が優れていて、自然農法にかぶれるわけでもなく、まっすぐにできる農のかたちをさがしていて、慣行農法をやっている人からやいのやいの言われることもあると言っていたが、自分たちのやり方をしっかり貫いていて格好良かった。
種取りもしていて、今度東京である古来種ファーマーズマーケット「冬の種市」に種や野菜を持っていくとのこと。大変なこともあるけれど、と言いながら、なんでも楽しそうにやっていて、家族がみんなひかりかがやいていてまぶしかった。

柳田さんとそのいとこの俣江さんやいろいろの知り合いを紹介してもらえたのもありがたいことでした。 柳田さんは最初会うなり、世界の成り立ちの話になった。人為と自然と。
ロスチャイルド家から坂本竜馬、安倍晋三に至るまですべてフリーメーソン、イルミナティに牛耳られているという話。
農薬も薬も添加物も石油製品で出来ていて、農業もこうした流れの中にあるんだよと。石油製品は人間が合成したものだから全くエネルギーがないのだけれど、このエネルギーがない農薬漬けの野菜や添加物まみれの食べ物をまいにち食べている若い人たちのことを本気で心配していた。
どこまで信じるかはあなた次第だけど、と言いながらいろいろな話をしてくれた。面白い人だった。子宮頸がんワクチンは使うな!とも言われた。

フリーメイソン、という言葉にしてしまうのには少し抵抗があるけれども、でもわたしは彼が言わんとするところがなんとなくわかる気がする。
コンビニの食べ物が信用できないのは悲しいことで、でも顔の見えない大きなものは信用するのが難しい。防腐剤っていったいなんなのか、なにでできているのかわたしはわからないけれど、腐らせないように食べ物は殺菌されていて、菌を殺すっていうことは、わたしたちのからだの中の菌も殺すわけで、それを気づかぬままからだに取り込むのをよしとしているこのしゃかいというのはやっぱり信用できない。コンビニのおにぎりが塩素で洗われていたり、ツヤツヤした見た目にするために光る粉をかけられていたとしてもそれを知らないでたべることができる。
どうしたって、いのちの世界を大事にしようとすればそんなことはできないとおもうのだけれども、お金の世界の論理は違って、今せかいはそのお金の論理で動いていて、そのためならなんでもするというひとたちが、戦争を起こさせたり、石油製品や電気や薬をたくさん使わせようとするのには、わたしたちが何も知らない方が都合がよくて、メディアだってお金で操作できるのだから、知ろうとしなければ彼らが思うとおりのことをするだろう。
ひとびとが元気でいるよりも、病気になって医療費を費やしたり、薬をたくさん使ってくれたりするほうが都合がいいから、たべものの世界はこんなになってしまった。

と、嘆いてもしかたなくて、柳田さん曰く、いまの若い人たちでも気づき始めている人がいると。頭の使っていなかった部分が動きはじめて、田舎へ向かう人が増えてきたと。
わたしは同世代のことを遠くからながめることができないので、そうなのかなーと聞いていたけれど、千秋ちゃんや山田さん夫婦のようなひとびとにはたまに出会うし、そこに明るいひかりのようなものを感じる。みくさのみたからを教えてくれた飯田さんがわたしてくれたもの、服部みれいさんの本があちこちにおいてあることとか、むかしは知らないけれど、扉はたくさん開かれているようにおもう。

とにかく、毎日からだを開いていると、ものすごい出会いがどどどと押し寄せてきて、ものすごいりょうの情報がからだにはいるので、大変なこともあるけれど、どうにかして定着させたくて、言葉にしている。
であるけれど、まだまだ間に合わなくて、でも大事にしたいとおもうのです。
ありがとうと、ごめんなさいと、あいしています。

ちなみに、鹿児島に来てから、宇宙人とUFOの話を聞くことが増えました。増えた、というか、いままでほとんど聞いたことなかったのに、まいにちのように出会う人がそんなはなしをするので、すっかり、わたしもそういう存在がいてもいいかなと思い始めています。
 

2014年1月12日日曜日

買い物と憂鬱

買い物はとても好きです。

きょうは博多で一日中、街中をうろうろして、買い物をしたり、美術館に行ったりしました。

美容室に行ったら、いつも髪を切ってくれるお姉さんが、年賀状をくれてとてもうれしかった。鹿児島や愛媛を回ってきた話をしたら喜んでくれた。お姉さんはとても小さくて、いつも変なメガネをかけていて、髪も赤とか黄色とかカラフルで、かわいい。6人兄弟の、長女。お母さんも美容師さんだったらしい。お父さんが自衛隊の人で、転勤で北海道いったり、沖縄行ったり、九州中あちこち行っていた、なんて話を聞いた。童顔で、お酒を買いに行くとよく難くせをつけられると言っていた。博多に来てから知り合って間もないけれどなんだか好きな人。

美容室に行った後、福岡アジア美術館でスタジオジブリのレイアウト展というものがやっていたので見に行った。レイアウトはいろんな人の手によって書かれていたけれど、宮崎さんのものはこれだろうな、となんとなくわかった。迷いのない、正解を一瞬で引いてしまう力強い線を見ると、わたしにはできないことで、ただただ、圧倒された。

アジア美術館、近くをいつも通っていたのだけれど、初めて行って、いつも面白い企画をやっているようだった。常設展のところで中国の切り絵展をやっていて、見て、いっしゅんで、好きになった。たしか、チャン・イーモウの『初恋のきた道』でも切り絵が出てきた気がする。チャン・ツィーが本当にかわいかった。
アート、というのは特別なものではなくて、ふつうの人たちの生活から、湧き上がる祈りや願いだったりする。中国の黄土高原で暮らす彼らのその営みというのはわたしにはわからなくて、ただ夢想するしかないのだけれど、ちょきちょきと、ハサミで紙を切って美しい模様を描くひとびとのことを考えるのはとても素敵なことでした。そして、わたしにもアジアの血が流れているのかな、とかいろいろ考えて、どこから来たのか辿っていったら彼らとも遠くはない気がして、いつか行ってみたいとおもいました。



お昼は、美術館にあったベンチで、林田さんが持たせてくれたおにぎりを食べて、ゴボウ茶を飲みました。道行く人には変な目で見られたけれど、みんな外でごはん買って食べるより、おにぎり握って食べたらいいよというふうな感じでわたしは得意げにごはんを食べました。美味しかった。

それから、たんじょうびを迎えるひとや出産祝いの先輩へのプレゼントを買いに、天神へ。
驚くほどたくさんの人がいて、目が回った。
いろいろと買ったあと、美容室のお姉さんがD&DEPARTMENTの福岡店が祇園にできたと教えてくれたので行ってみた。ナガオカケンメイさんセレクトの品々がずらりと並んでいた。かっこよくて、選び抜かれたデザインのものたちばかりで、かえって、参ってしまった。
長靴を試着していたら店員のお姉さんに声をかけられて、冷え取りをしているんですか、と聞かれた。彼女も冷え取り中らしい。

買い物はすきで、たのしくはあるのだけれど、平日農村をまわっているわたしには、ものすごいいきおいで消費を煽り続ける街をめぐるのは結構つかれる。たくさんの若い人たちが(若い人たちだけではないけれど)こぞって集まって、物欲の限りをぶつけ合っているとおもうとなんだかやるせない。そのエネルギーもうちょっと有効につかえないのかなあとかおもった。

きょうの大きな買い物のひとつは炊飯器であって、ヨドバシカメラにもいったのだけれども、家電ってこんなにあるのか。寮生活だとほとんど家電とは縁遠いのでしらなかったけれども、こんなにもたくさん買わねばならないものがあるのか、いや、買わねばならないわけではないけれども、炊飯器ひとつえらぶのも大変で、お客さん一人一人にどうやって物を買ってもらおうかと奔走する店員さんたちを見ていたらなんだか具合が悪くなった。

ナガオカさんたちのコンセプトはとてもよく分かって、ロングライフデザイン、確かにいいことだとおもうし、どんどんと消費を煽るパルコとかヨドバシカメラとかそういうのとは一線を画している感じがあるとおもう。けれどもその選び抜かれた各地の品々を買うことができるのは都市生活者で、少しお金のある人たちで。わたしもそういううちのひとりになっているのだろうか。別にいいけど、なんか居心地が悪い。冷え取りにしても、じぶんをだいじにできるのはいいことだけれど、あまりにもだいじにしすぎて、モノに走りがちになっているじぶんがなんとなくいやで。とても面倒くさいのだけれども、この矛盾みたいなものは買い物のときいつも感じている。買い物に向かうときはいつもこころがうきうきするのだけれど、お金をたくさんつかっていろいろなものを抱え込んで帰る途ではすこしこころが重たくなっていたりする。ゴミを出さない生活は遠いなあ。
友達が、服部みれいさんの出す本や雑誌をよんでいるひとたちのことを「暮らしセレブ」と呼んでいて、なんだか笑っちゃったのだけれど、そのかんじ、すごくわかる。
エコでコンシャスな暮らしを素敵にしているじぶん、というのが好きで、そのためならお金を惜しまない。それって普通のブランド品が好きで自己顕示のために消費し続けるひとたちとそんなに違わないのではと。意地悪ないい方だなあとおもったけれど、でもじぶんもそういうところがあるので(だから特定の人を揶揄しているわけではなく、せんびきをする気もないのです)、ああ、だからわたしはなんでもつくれるようになりたいなあとおもう。

こうでなきゃだめ、というのはとても窮屈な話で、でも、なんでも選べる場所にいるじぶんは、わけもなく恵まれすぎている気がする。都市と農村の関係を考えるとやっぱりやるせない。潔癖であるひとなんていないのだけれども、でもこのもやもやする感じは消費しかできないじぶんに向かっているものなので、やっぱりすこしでも手を動かしてものをつくりたい。
清貧と同じように清富があるとどこかでみれいさんが言っていた気がするけれど、わたしにはまだそれっていうのがわからなくて、わたしにとって持ちすぎていることは居心地が悪いことです。ちょっとくらい見た目はみすぼらしくて、でも心が豊かな人になりたいなあと思うのは、持っている、贈与されていることの重みに耐えられないから。
大学で贈与論をかじったけれど、たぶん、贈与されているありがたいという気持ちがあるのと同時に、なんだかこんなに持ってしまってもうしわけない、ひとにくばらなきゃという気持ちがはたらくようで、いまわたしはありがたいことにたくさん物を持っているので、人に配って回りたい気持ちになる。そうではないときだってもちろんあって、自分がもらうことばっかり考えているときだってあるのだけれど。

寮に帰ってきてからは、コーヒーを飲みながら林田さんと一緒に大河ドラマを見ました。大河ドラマ見るのほんとうにひさびさだった。
さいきんはまいにちがしあわせで、うれしいのと同時に泣きたいような気持になります。
母親にはわたしが生き急いでいるように見えるらしく、わたしもこの感じがいつぷっつり切れてしまうのかとハラハラしています。
でも、おまじないのおかげなのかどうかわからないけれど、ここ何年かでじぶんがいい方向へと変わりつつあるような気がする。いい出会いが増えたし、人交わりも深いところでできるようになってきた。いままで閉じていたものが開きつつあるという感触。いろいろなものに感謝。

なんだか、きょうの日記はじぶんについてのはなしばかりでぐだぐだになってしまった。
鹿児島で、とても素敵な出会いをしてきたのであしたにでもそのことを書きたいとおもう。

2014年1月3日金曜日

としのはじめに

年が明けました。


今年わたし年女です。
そんなこともあり、草原(海原でもある)を駆ける馬を描いてみました。
火山は噴火しようとしているのか、してしまったのか。夜空を照らす星々は喜ばしいことなのか、天変地異なのか。
とりあえず、馬は明るい方向に向かって走ります。


ハチドリのひとしずく
天を飛ぶ鳥はハチドリ。
ハチドリという鳥にはとくべつ思い入れがあります。
3月11日に震災と原発事故があってから、日本のエネルギーの現状やこれからのことについて、自分の思いや言葉がなかなか近くの人に伝えられず悶々としていた時に出会ったのが工藤瑞穂さん。
三陸・宮城の海を放射能から守る仙台の会、通称・わかめの会での活動がきっかけでした。
女川原発や六ヶ所村の再処理施設など、昔から原発やエネルギーについて考え活動していた人たちに励まされた分、まったく無知であった自分たちの世代でもこの問題を一緒に考えて話し合いたいとおもっていました。

そんな時に、瑞穂さんがエネルギーについてあまり知らない自分たちの世代でもふらっと立ち寄れてこれからのことを話し合えるような場所を作ろうと話を持ちかけてくれ、2012年3月24日、一にHaTiDORiというイベントを行うことに。

それから今に至るまで、仙台のクラブハウス・パンゲアやせんだいメディアテークを会場に、知識や情報を共有し対話する場と、音楽や踊り、アート、フードなどを通して自分たちの思いを表現する場を融合したイベントを定期的に開催してきました。
(→HaTiDORi



イベント名のHaTiDORiは、「小さくてもわたしにできることを」と、燃えている森にくちばしで一滴ずつ水を運んだハチドリの逸話から取った名前。

私は今仕事で九州にいるけれど、どこにいてもハチドリのように、小さくても自分にできることをしていきたいなとおもっています(というか自分にできることしかできないのだけれど。じぶんだけのことではなく、もうひとまわりかふたまわりくらい大きな輪のことを考えながら)。

(写真は、去年三月にやったハチドリの会場、パンゲアで撮ったもの。お飾りに相当、力を入れています)


うちのお正月

去年は卒論締め切り間際で年末年始実家に帰っていなかったから、今年はひさびさに家でゆっくり。毎年母親が結構しっかりお節をつくっていたのだけれど、今回は去年母のお兄さんがなくなってしまったこともあり、ひかえめ。
それでも、家でとれた野菜をつかったお煮しめ、なます、家でとれたにわとりの卵でつくった卵焼き、とか、つくるところから食べるところまで見てやって味わえるのはとても幸せなことでした。

今年のわたしの抱負は、うまいたべものをつくる、食べる、さがす、です。
せっかく仕事であちこち回れるので地方地方のうまいものを探して食べて、つくれるようになりたいなと。

去年の年末から自炊欲がむくむくと出てきたので、さっそく家でもなにか作ろうと思っていたのだけれど、正月の実家にはお節をはじめ、たべものがあふれていて、幸せなことなのだけれども、特にたべものは何もつくらず仕舞いでした。

その代り、飲みものを。
ゴボウ茶と、サングリア。
サングリアは、もらい物の果物がたくさんあって白ワインもあったからただそれを漬けただけ。
ゴボウ茶はちょっとさいきんはまっているもので、飲むとお通じがよくなるんです。12月に愛媛県に行っていたのだけれど、立ち寄った道の駅で売っていたゴボウ茶を会社のひとたちと飲み始めてから大流行り。香ばしくて、おいしいうえに、水溶性の食物繊維が茶の中にたくさん入っているので快調(快腸)に。
で、家に帰ってきてからもお土産のゴボウ茶飲んでいたのだけれど、ゴボウは家にあるしお茶つくろうよと母親と意気投合してつくりました。ゴボウ茶。
スライスしたゴボウを2,3日干して、チップ状に砕いてから弱火でじっくり煎ったらできあがり、という簡単な作業なのだけれど、じぶんでつくるのはやっぱり楽しい。煎る作業は結構時間がかかったけれど、ちのみちとおしながら、腰ふりながら、踊りながらやったらほんとうに楽しかった。

この年末年始、実家で過ごしてみてしみじみ感じたのは、わたしのたべものへの執着、というか情熱、みたいなものは実家で植えつけられたのだということ(とくに父はその傾向が強い)。
年末、家に帰ってくるなり、おでんの話。今回練り物がなかった、卵が入っていない、味が薄いとかで大騒ぎ。
たくさんつくってあったから次おでん食べるときは卵を入れようとなったのだけれど、今にわとりさんたちが寒くて卵をそんなに生んでいないから自家用卵があまりない、じゃあ何個入れる?6個は入れすぎ、お正月の卵焼きが作れなくなる、じゃあ3個。きれいにゆで卵つくるのにはどうすればいいんだっけ、常温に出しておく?ゆでる時に沸騰する前、水から入れておくんだっけとかいいながら。結局うまくむけなくてぼろぼろになってしまったのだけれど、やっぱり卵が入ったおでんは美味しかった。


ふたたび、安倍晋三
このあいだ、としのおわりに で安倍晋三のこと、みくさのみたからのこと、たべもののことなど書いたら思いがけずいろいろなひとからレスポンスが。自分がふだん思いもしないことを考えている人がいたり、いろいろな意見を聞けてすごくありがたいことでした。

そしてまた、わたしは彼のことを考えてしまう。愉気してあげたいとか言いながら、年末のニュースで彼の顔がテレビに映って株価がどうのこうの、アベノミクスがどうのこうの、聞いたとたん、そんな気持ちはどこかにいってしまっていて。分かり合えなさみたいなものから憎悪ににた感情をもってしまったのでした。ふう。

あなたはどこを見ているんですか、と言いたい。わたしは農村を回るたび、年老いた農家の人たちの溜息を聞きます。
減反廃止したら農業を続けられなくなる。TPPが来たらもうコメをつくってもしょうがない。おれたちは切り捨てられたんだ。って本当に悔しそうに。泥から、種から、うまいものをつくって、そのいのちをわたしたちに届けてくれている人たちを放って、なんでそんなに笑って、自分がしていることを肯定できるんだろう。あなたが食べているものはどこのだれがつくっているものなんですか、その人たちはどうやって生活しているか考えたことあるんですか。お金とか、目先の利益を追求したところで明るい未来なんてあるわけないでしょうってどうしても思ってしまって。

でも、彼が言う「美しい日本」や「とりもろす」という言葉にはわたしたちが共有しているいまの空気みたいなものが現れている気がする。
無意識のうちにも、3月11日以降失われてしまったものというのは、わたしたちのこころに大きな傷跡を残しているのではないか。とりもどせなくなってしまったもの、海のもの、山のもの、空気、水、生活。この地に生きている限り、意識していなくても、からだは 自然であるので、やっぱりその欠如をひしひしと感じているとおもうのだ。
でもそのとりもどし方がみんなわからない。わたしは足元から、土から見直すしかないと思っているから、泥からたべものをつくっているひとたちを見て回りたいと思って、いまあちこちに足を運んでいるのだけれど、そこには本当に豊かなひろがりがあります。じぶんでいちからつくれるのだということ。
でも、そのすべを知らなければ、どうやってその欠如を満たせるのかと考えた時に、お先真っ暗な「尖りきった岬(わたしの父の言葉を借りれば)」に向かうほかなくなっているのではないだろうかとおもう。安倍晋三の思いつめたような言動をみているとそんな風におもえるのだ。

そこに至る気持ちがわかったとしても、しかしその岬から一緒に心中するのはごめんです。馬のようにしなやかにちからづよく、鳥のように自由にかろやかに、光のさす方へ跳んで飛んでいきたいのです。