2013年12月30日月曜日

としのおわりに

ながいながいいちねんでした。
ものすごい濃いいちねんで、2,3年分いっぺんに歳をかさねた気がします。
べそをかきながら仕事をしていたときもあったけれど振り返ってみるととてもすばらしいいちねんだったな。


12月のこと
とくに12月はすばらしかった。
すばらしかったのにはいろいろ理由があるけれど、その一つは自炊ができたということ。
4月に会社に入ってから、ずーーっとしていなかったこと。毎日農村を回りながらなんでも自給している農家にあうたびに、羨望のまなざしで見ていた。
暮らしをだいじにしようなんて言いながら本を売り歩いているのにもかかわらず、お昼はコンビニで済ませることが多かったり。朝夕はたいてい宿のごはんだから何も選ぶことができない。
コンビニっていうのは、あるひとにとっては欠かせないものかもしれないけれど、わたしはできるだけ使いたくない。別に恨みがあるわけではないけれど、コンビニに依存せず生活できるようになりたいとおもっている。
コンビニで買うおにぎりの裏をみるとげんなりする。おにぎりにかぎらず、売っているものすべて、パンでも飲み物でも裏側の原料の部分を見るとげんなりしてしまう。じぶんのからだの中に入れるものなのにとても遠いのだ。誰がつくったのか、何が入っているのかよく分からないからそれを食べるというのはげんなりを通り越してこわいくらい。

ごはんと味噌汁と少しのおかずがあれば豊かな気持ちになれるのだもの。自炊をすると誰がどんなふうにつくったものを使っているのか大体わかるからね、身体も心も安心して消化しようってなるのじゃないかな。それから人と一緒に食べるっていうのもとてもいい。素敵な仲間と一緒にご飯をつくってご飯を食べるってすごくすごく幸せなことだとしみじみ。

そんなこんなで食べ物をつくること、食べ物をたべることにいま並々ならぬ熱をあげています。
食べ物を軸に世界を見ると、TPPとか、遺伝子組み換えとか寒々しいはなしばかりが目につくけれど、身近にいる農家の食卓や家周りをみると、あ、柿が干してある、芋が干してある(えひめでは干しイモのことを「ひがしやま」って言います)、あ、千切り大根が干してある、シイタケが干してある(基本農家は家の周りになんでも干すんだね)、味噌をつくっている、豆腐をつくっている、漬物漬けてる、という姿や景色が毎日飛び込んできて、生きることと食べ物をつくることがもうほとんど一緒みたいな。
シカ肉とかイノシシ肉とか、自分で捕ってきたものを食べているひともいる。しまいには畑を荒らすイノシシを捕まえた後自分の家で飼って、まるまる太らせたのを食べているひともいる。
家畜になったイノシシはただの豚です。家畜と農家の関係がまた面白いのです。わたしはそんな光景にほっとします。美味しいものをいちばんしっているのは農家だとおもう。


つくりだすこと
じぶんが生きるのに必要なものをじぶんでつくるというのはとても豊かなことで、にんげんには欠かせないことだとおもうのです。それは食べ物だけでなく、衣食住すべてそう。もっと言うと、手を動かして何かをつくるってことはすべて人間が人間としているために必要なことだとおもう。手を動かせない人もいるのだから、もっともっと言うと、自分の頭で考えること、口にすること、それを表出させることすべて。じぶんがひつようだ、やりたいとおもってすることすべて。

でも本当にこころからやりたいとおもっていることができている人ってすごく少ないんじゃないかな。安倍晋三はぜったいやりたいとおもっていることができていないとおもうんだ。というか、やりたいとおもっていることが自分の身体とかけ離れすぎているとおもう。固くなった頭のすごく狭い部分でなんか思い込んでしまったことを馬鹿みたいに手離すことができないで、執着しちゃって、自然と逆の方向にすすんでいっている、という感じがする。


安倍晋三
とても嫌いです。農村には自民党のポスターがたくさんある。バイクに乗りながら彼のあぶらぎった顔を見かけるたびに胸にどろどろっとしたものができるのがわかる。
嫌い、と書いたけれど、この嫌いのもとを探っていくと、彼自身ではなく、彼がもつカルマというか毒のようなものに行きつく。この毒はわたしも持っているものだ。たぶんだれでも持っているものだ。

けれどその毒っていうのはみんな日々の生活の中で要所要所で抜いているものだと思う。気詰まりって言葉があるけれど身体を流れているべき「気」がもうたくさんたくさん詰まって固くなってこぶみたいになってしまって簡単には取れなくなってしまっている、というイメージ。彼の持っているこぶには彼のおとうさんやおじいちゃんから引き継いできているものもあるとおもう。そういう意味で言うと、日本という国が溜めてきた毒もたくさんあって、彼はまさしく国の首長としてそれを象徴しちゃっている。

ちょっと話が抽象的になりすぎているけれど続けて考えてみる。
震災、原発事故で放射性物質という猛毒がたくさん出て(今も出続けている)、それでもまだ出きったわけではなくて、もうぱんぱんに毒がたまっている。原発のことをトイレなきマンションとよく言うけれど、土に還せない毒をこれだけ溜めてきてしまっているというのはどう考えても異常なことで、異常なことを許し続けて(見過ごし続けて)経済成長とかいうものを遂げてしまった日本という国も相当異常な国だとおもう。
そしてもう取り返しのつかないことが起こってしまったのだけれど、それに気づかずおんなじかそれ以上のことをしようとしているおとなたちがたくさんいるっていうのは本当に異常。

感傷的な話になるけれど、原発の事故でたべることのできなくなってしまった海の幸、山の幸、魚とかシイタケとか、生活していくことができなくなってしまったひとやもののことを考えるとほんとうにやるせなくて、腹が立ってしまう。自然の恵みを一身に感じながらいきてきた農家の人たちのことを考えると、なんてことをしてくれたんだと、誰かに怒りを向けてしまいたくなる。震災後、仙台で降っている雨におびえた日を思い出すと涙が出る。わたし自身も事故がおきるまで自然というものをあまり考えてこなかったけれど、無意識のうちにいつでも帰れる場所だと思っていたのだと気付いた。帰れなくなることがあるなんて、考えたこともなかったのだ。

たべものを食べてもたべものをつくったことがない人というのは、想像することができないのだろうか。震災で被害を受けた女川原発も再稼働しようとしているし、外国にも原発をどんどん輸出していこうだなんて、どうしてどうしてできるのでしょう。

狂っているとおもう。
風の谷のナウシカでドルクの皇帝が(漫画でしか登場していなかったかも)最後にやせっぽちのひとりぼっちの妖精みたいになって消えてしまったのだけれども、そうなる前のどろどろの毒まみれの皇帝である彼と安倍晋三といまの日本の状況って似ているなと思って。
原発事故という悲惨な状況でしか毒は出せないのだろうか。
秋葉原の殺人事件の容疑者だってほんとうにひとりぼっちで自分で毒を出すことができずに膨れ上がってコントロールしきれなくなった毒を外に向けてしまったんじゃないかな。彼やその毒を浴びせられてしまうひとのことをかんがえるともう本当にやるせなくなってしまう。

次は戦争だろうか?どんどんとそういう方向に進んでいるような気がするのだけれど。そんなので毒を出されるのはまっぴらごめんだとおもう。
だからこそ、おのおので自分の毒は出してほしい。ひとを傷つけない方法で。わたしもそうしようと思って冷え取り健康法だとか、食養だとか、みくさのみたからとか、いろいろな毒の出し方を試しています。


みくさのみたから
毒気のないひとって顔が晴れやか。気詰まりがなくて、身体じゅうにいいエネルギーが満ちて、それが外とつながって循環している感じ。毒の出し方はひとそれぞれで、じぶんのしたいことをしていたり、すばらしいものをつくっている人たちっていうのはあまり悪いものがたまらず、便秘にもあまりなってなかったり、持ち物に執着がなかったり、あけっぴろげで解放感があって、わたしはそんなひとがたまらなく好きです。そんなひとに出会えるとこちらもとてもうれしくなるし、いい気がめぐる気がする。
自然とそれができてしまえば多分いうことは特にないのだけれど、やっぱり生きているとしんどいことは必ずあるし、悩むことだって結構あるものだ。

そんなときにわたしがお守りのように大事にしているものがある。聖書でも神様でも仏様でもなくて、みくさのみたからという、ひとびとが伝えてきた、ひとびとのからだの術。くさのたみのみっつのたから。

これを教えてくれた飯田茂美さんと大学時代に出会って、一緒に舞台をつくりました。

春風のなか、ちいさな街

この創作過程で、舞台のことだけでなく、自分の身体を生きていくためのものすごく面白い術を教えてもらった。今彼はこのみくさのみたからを世界中のひとたちに伝えるために、世界中飛び回ってワークショップをしている。

飯田茂実わくわくショップ・冬の諸國めぐり一覧

たぶん言葉ではうまく伝えられないので、みくさのみたからを知りたい人は直接、彼に会って、いっしょに身体を動かすといいと思います。

みくさのみたから
ひとつ。ちのみちをとおすこと。
ふたつ。まじないかじること。
みっつ。たなそえること。

ちのみちを通すのが気を通す、みたいなことで、身体を気持ちのいい方向にうごかしながら気詰まりをなくす、毒を外に出すこと。整体の世界では活元運動ともいう。ちのみちはいきものすべてに流れるもので、これを通してやると、だいたいのことはどうにかなる。悩みというのは身体の詰まりから来ているものでもあるのだ。

まじないをかじるのは、そのまま。おまじないを唱えること。おまじないは呪いのことばではなくて、じぶんだけの喜ばしいことば。毎日自分はだめだ、ってつぶやいていたら多分だめなひとにしかなれないとおもう。毎日自分はついている、ってつぶやいているひとは、なにがあってもついているのだ。
わたしはほぼ毎日、「ありがとう、ごめんなさい、愛しています」と口に出して唱えたり、心の中で唱えたりしている。宗教でだれかをあがめて救いを求めるのではなく、自分のことばで自分を救えるのだ。
これはハワイでホ・オポノポノと言われるおまじないでもある。ほかにも自分でこうであったらいい、という喜ばしい言葉を「~である」という言い切り型、「~になっていく」という未来型で唱える。
唱えていても大変な時はあるけれど、そんなときに唱えることばがあるというのはとても心強いことで、お金もかからないし、誰かに仕えるわけでもないし、誰かを呪うわけでもないし、自分がこうでありたいという自分に近づくだけなのですごくピースフルで簡単なこと。

たなそえるのは、手を添えること。手当て、とも愉気、とも言う。治療することを手当てというけれど、もともと傷を治すときにひとは手を添えて直していたから今でもそういうのだろう。本当に手をそえるだけでいいのだ。じぶんやだいじな人に。手を当てられるととてもあたたかくて心地いい。
ひとりぼっちでさみしい夜、悲しい夜、疲れ切った夜、寝る前に自分の目や胸に手を当ててやる。だんだんと自分の手のぬくもりが感じられて、手を当てられている自分の身体が愛おしくなってくる。
このあいだそんな話を先輩にしたら、じぶんもやってみたけれどなんだか良かったよと言ってくれた。
手を当てるだけの簡単なことだけれど、意外にみんなやっていないもので、じぶんでやるのも気持ちいいし、人にやってもらうのはもっと気持ちいい。
背中ががちがちに固まってしまっているひと、ひとから身体を何十年も触られていない人。そんな人に手を当てるとふわっとからだが緩むときがあって。泣き出す人もいる。

飯田さんが全世界の人が皆愉気をするようになったら戦争は起きなくなるだろうって言っていたことがあるけれど、わたしも本当にそうおもう。頭がガチガチに固くなってしまっている人に愉気をしてあげたい。安倍晋三は嫌いだけれど、愉気をしてあげたいとおもう。
愉気をすると面白いのは相手がどんな人であれ、わたしがその人に対して複雑な感情をもっていたとしても、愉気をしている間は、その性格上の問題とかは気にならなくて、手をあてている身体、いのちを大事にしようとおもえること。あたたかな血が流れるいきもの、いのちであるということがすごくよくわかるから。

このみくさのみたからがあったから、このいちねんもなんとか乗り切れた。たくさんつらいこともあった気がするけれど、やっぱりすばらしいいちねんだったとおもえる。
本当に、ありがとう、ごめんなさい、愛しています、という言葉ですべてが事足りてしまう。


ありがとう、ごめんなさい、愛しています。


来年はきっともっと大変な年になるとおもう。国も環境も。
でもおまじないのパワーってすごいもので、どれだけネガティブなことがたくさんあっても、希望があるような気がするし、ちのみちを通しておけばひとと気を通わせることもできる。
すばらしい出会いがまたたくさんある気がします。

2013年12月3日火曜日

たべものをつくる



ひさびさに少し時間ができたのでさいきん起きたこと、思ったこと、出会ったことなど。

場所は熊本から岡山・愛媛へ。

熊本は6月からずっと回っていて、ひととおり終えた感じ。

まいにちたべものをつくっている人の場所へ行く。スーパーで売っているたべもののこと、わたしはどこまで知っていただろうか。

ハウス農家地帯を回ると、整然と並んだトマトならトマトの木にいかにずらりと同じ規格のものがたくさんつけられるかということに皆が腐心しているのかがわかる。

トマトって普通に作ったら夏のたべものだ。でもわたしたちは一年中食べたい。一年中作りたい、というよりは一年中食べたい人たちがいるから一年中つくるひとたちがいなければならなくて、冬にトマトをつくるには、熊本であってもハウスで、そしてたくさん暖房を焚かなければできない。
一年間にかかる資材費と、油代の額を聞いて驚いた。

わたしは知らなかったけれど、おととしくらいにどこかの偉い人がテレビでトマトの効用について一説ぶったらトマトのブームが来て、たくさんトマトが売れるようになった。だからトマト農家はたくさんの人が食べられるようにとトマトをたくさん作ろうとする。設備投資をたくさんして、雇用を入れて規模を拡大した人も多かった。でも、ブームはブームだからこれからまただんだんと消費は減っていくのではないかという人もいた。

規格についても、同じ大きさのものしか市場には出せないから揃いがよくないと困る。食べる分には大きさが違っても全く困らないと思うのだけれど、スーパーでは色づきとか、形とか、大事だから、市場や農協が農家にそれを要請する。直接お客さんに野菜を出しているという例外的な人でなければ、形、大きさというのは致命的なものなんだと思った。

熊本で取れたトマトを東京まで運ぶのは時間がかかるからほとんどの人はトマトを完熟ではなく青いうちに収穫する(市場に出して、スーパーに並ぶまでに追熟させる)。完熟トマトと追熟味は全然違くなるとのこと。

おんなじハウストマトをつくっている人でもいろんな人がいて。
農協が薦めたとおりの防除をして、買ってきた化成肥料を使って、土がだんだん痩せるようなつくりかたをしている人もいれば、自分たちで菌をつかって微生物の力で土を肥えさせようとする人もいる。規模を拡大させるために外国人労働者を安い賃金で雇ってたくさんの面積をこなす人もいれば、家族で手の回るぶんだけでいいのだという人もいた。中国人やベトナム人をたくさん入れて(研修生として入れるとさらに安くなる)トマトをつくっているようすは少し気味が悪いと思ってしまった。

農協も地域によって色が違うとは思うのだけれど、農家のための農協というよりは農協のための農家になっているのではないかと言う農家の人たちは多かった。
防除や農薬についての指導というのは如何に農家をもうけさせるかという点ではなく、いかに農協を通じて資材を買ってもらうかというところに重点が置かれているのではないか、とか。
それを意識的に見抜いて、自分なりのやり方をして、自分なりに付き合っている人と、農協さんが言っていたからねとむかしからの慣行栽培を続ける人と。たべものをつくることに情熱を持っていやっている人もいれば、疲弊して、言われるままやるしかないような人もいた。




宇城市の小川町では、有機で生姜をつくっている森田さんという人に会った。森田さんの生姜を使っているひとたちが、「これは森田さんの生姜なの」と、うれしそうにそのことを話すのが印象的だった。写真はお寺で出してもらったお茶請け。お湯でといた葛に森田さんの生姜と蜂蜜をかけていただいた。

八代市の東陽町でもたくさん生姜つくられていたけれど、ほとんどの人がガス消毒をして土を無菌状態にさせてつくっていた。連作障害を起こさないように。毎年たくさんの生姜がつくれるように。そのときはへえ、と思って聞いていたけれど考えてみると、無菌状態にしてしまうって大変なことだ。わたしのからだの中にだって、いい菌、わるい菌、たくさんの菌がいるけれどそれを良いも悪いも全部殺してしまうくらい強い薬を土に入れているわけだ。
森田さんは、見えないところで薬をかけたものを食卓で食べれたとしても食卓で薬かけたものはたべないでしょうと言っていた。わたしたちが普段買っているものは、前者のようにしてつくられているものも多いだろうと思う。淡路島のモンキーセンターのサルがアメリカから来た作物を食べるようになってから奇形が増えたのはポストハーベストの影響だったというマクガバン報告の話や、玄米生食を心がければ7年で浄化される話も教えてもらった。

農家の人たちは病気を恐れているのだけれど、その対処の仕方というのは人間が病気になった時の対処の仕方がいろいろあるように、ひとによって全く違う。農協の言うとおり防除をする/肥料をふるのは、医者の言うことを鵜呑みにしてじぶんのからだの声を聞かず薬を飲むことに似ているような気がする。

森田さんが有機農業を始めたのはこうした思いもさることながら、牛肉オレンジ自由化などの外圧を受けたこともあったそう。そうした情勢に左右されない農業をやろうと思うと、化成肥料や農薬など、外から来たものをたくさん使う慣行栽培は難しい。そういうものに頼らずに、土を肥やして野菜をつくっているのであれば、だいたいのものは自給できる。
あと、有機野菜は高い、というイメージがあるけれど、自分はその年の出来不出来に関わらず野菜の値段を変えないで、商品化に走らないように、「たべもの」をつくっているんだと言っていた。
たべものと工業製品を区別してたべものをつくっている人って案外少ない。指導された通り、もしくは利益を最大にするために野菜をつくっている人たちをみると、工場と何が違うのかなと思うこともある。もちろん技術というのはどちらにとっても必要だけれど、たべものはいのちなので、物理性だけではなくて生物性や自然を理解しないとつくれないものなのだ。


トマト農家の人で、安全性や環境に配慮した農業は大事だと思っているけれど、いちばん重要視しているのは生産力をあげて、みんなが食べられるものをつくる、ということだと話してくれた人もいた。
TPPがはじまったら、多分低収入の人は安いものしか買わなくなる。だからこそ、自分も収量をある程度保ち、多くの人が食べられる値段で売れるようにしておきたいのだと言っていた。環境に配慮してつくったものでも高すぎて近所の人が買えないものになったら意味がないと。

たしかに、有機野菜を買える人ってたべものに気を遣ったりお金を使ったりする余裕のある人が多い気がする。
それでも、栽培方法というのは、わたしたちが要請しているものでもある。というかわたしたちの要請が本当に大きい。農家の人たちのことを知らず、農家がどうやってたべものをつくっているかを知らず、そもそも自分が食べているものが何でできているか、どこでできているかも特に考えずに値段という価値基準の元だけに、自分のからだに入れている人たちってたくさんいるんじゃないだろうか。わたしだってひとのことを言えたものではないけれど。


じぶんのからだに入れるものから世界を見ると、いろんなものが見えてくる。
たべものは、わたしを生かすためのいのちで、いのちに優劣はないから何にでもありがとうごめんんなさいあいしていますと感謝してからだに入れたいと思う。
それでも、どんなふうにじぶんのからだをつくるいのち、たべものがつくられるといいのか、ということは農家の人たちだけでなく、わたしたちこそが考えていかないといけないと思うのだ。

からだのこえを聴く

服部みれいさんの『自由な自分になる本』に載っていた「月経血コントロール」というもの、やってみている。まだ上手にできているとは言えないけれど、意識すると、ちがうものだ。

月経血コントロールは生理がきてから、月経血を膣内にためておいて、トイレで排泄すること。昔の女性は、下駄をはき、鼻緒を指でしめ、内また気味に歩くということを日常からやっていたから自然とこのコントロールができていたそう。

三砂ちづるさんの『オニババ化する女たち』にもこの話が書いてあって、できたらいいなと思っていたのだ。で、今回はじめてしっかり意識して試してみている。布ナプキン手元になかったのでガーゼを8枚重ねにしたものを2つ使ってみた。昨日今日と外へ出ず中にいられるので試しているけれど、やはり、紙ナプキンみたいににおいが気にならなくなるし、自分の手できれいにするから捨てるものもないし汚物感がなくなる。あと、できるだけ布を汚したくないからコントロールするぞ、って感じにもなる。
トイレの汚物入れって嫌いだったのでそれにお世話になる必要がなくなるっていうのもうれしい。

みれいさんの本にも載っていたけれど、赤ちゃんのときが紙おむつで、生理が来るようになったら紙ナプキンで、お年寄りになったら尿漏れ防止の紙おむつをするようになると思うと、人生の中で結構長い間おむつに世話になることになるわけで、そういう売り場に行くと、赤ちゃんから介護用までのおむつがずらりとならんでいて、ちょっと恐ろしい。
くすりに頼りきりであることも、おむつに頼りきりであることも似ていて、じぶんではなく、外部のものに、お金を出してじぶんのからだを預けることにわたしたちは無意識のうちにならされている。たべものだってそうだ。昔は物がなかった、というのもあるけれど、もう少しじぶんのからだのことはじぶんで面倒見ていたのではないかな。その感覚を少しずつでも取り戻していきたい。

このあいだ、先輩たちと整体の話をしていたのだけれど、わたしは気持ちよく身体をうごかせればいいと思っていて知識として知らないことがたくさんあって人に説明できなかった。いいものでもじぶんだけできてもしょうがないし、人に伝えられるようになりたいと思うので、いろいろ勉強したいな。
とりあえず、今、片山洋次郎さんの『骨盤にきく』をもういちど読み返していて、三枝龍生さんの『からだは何でも知っている』を読んでいるところ。
忙しいのはあるけれど、忙しくて時間がない、を言い訳にして、じぶんのからだのことをひとまかせにしたくない。一生つきあうこのからだのこと、少しづつでも知って、いろんなひととシェアできたらと思う。飯田さんからの宿題でもある。

2013年11月5日火曜日

精神安定剤



真夜中にふと目覚め。目覚めてしまった夢を見て、明日からのことが心配になり、早く寝ようと思ったら現実世界で目を覚ましてしまい、夢だったことを知ったのでした。でも夢のなかでみた時間と起きてみた時間が同じだったのです。不思議だ。

春夏秋冬と季節がめぐるように、身体にも四季があるのだなと思った今日。身体もこころも限界を迎えていた先週からぐっと休んで、お出かけしてこころも休養、羽をのばして、たまっていた毒素が出ていった感じですがすがしいのです。
女の子はとくに、生理のおかげでひと月ごとにそういうチャンスが巡ってくるのだと思う。異常気象みたいなときもあるから用心しなくてはと身体が大丈夫なときもちのみちとおして、湯たんぽで温める。寒くなってきたのでとくに。

日常のなかで、かいしゃに入る前に出会ったひとやものとつながっているな〜と感じるとき、とてつもなく安心する。今のかいしゃを選んだのも大学生までの出会いやつながりがあったからこそなのであたりまえのことといえばあたりまえなのだけど。
いまのじぶんがどんどんとすぎていく過去のじぶんとつながっていることを確認することがわたしにはだいじなのかもしれない。
空間的にいろいろなものと離れてしまったということは想像以上にじぶんにとって大きいことだと改めて気づいたのでした。
だから、おてがみやでんわやネットでのちょこっとした交流が弱っているわたしにはとてもいいおくすりになる。かんしゃしながらごっくん、と呑み込んであしたもたのしく生きられますように。


今日はここ一週間で起こったことと読んだ本について書こうと思ったけどまたこんどにします。おやすみなさい。
ゆめのようなきのこを思いだして夢のなかへ。

2013年11月1日金曜日

立ち戻る場所

仕事をするようになって、半年とちょっと。少しずつ慣れてはいるけれど、やっぱりたいへんなときはたいへんで。身体が大変ならこころも。自分がどう働きたいのか、何がしたいのか、人とどう接していくのか。立ち戻れる場所があるということが大切なのだと思う。

↓携帯のメモから。

わたしに方向を示してしてくれた人のひとり、西村佳哲さんの新刊「ひとの居場所をつくるーランドスケープ・デザイナー 田瀬理夫さんの話をつうじて」読みながら、自分がいまあちこちの農村で見ていること、考えていることを重ねて。この仕事をしながらまだたくさん見て考えて知りたいことがたくさんある。と思えることが嬉しい。感謝。

もちろん、人とつながりたいという意識はあるけれど、わたしはこの地と山と川と海と生き物たちともつながっていたい。つながりながら暮らす方法を考えること、暮らしていきたいということが私の今のモチベーションになっている。

ということに今日気づいた。

昔はじぶんたちで屋根を葺き、機を織り、大豆を作っては味噌や醤油をつくり、身の回りにあるものを使って、自然に手を入れて、暮らしを営んでいた。じぶんの身体をじぶんでケアする方法だってみんな知っていた。

わたしはそれをただ懐古しているのではなく、もともと持っていて、近代化の過程で失ってきてしまった暮らしや身体の技術や知恵をとりもどしたい、そしてまたつないでいきたいのだ。




来月は西村さんと田瀬さんが福岡に来て、ワンデイフォーラムが開かれる。楽しみ。




これは昨日あったいぐさ農家の作業場。いぐさ農家はいぐさを育てて刈り取ってじぶんで加工するところまでやっている。中国から安いいぐさが入るようになって、この辺りのいぐさ農家も随分減ったらしい。田んぼに突っ立っているそれが畳になるのだと思うと不思議だ。よく考えたなあ。

今の仕事をしていると、まいにち、あたらしく、たくさんの人に出会う。
たまにお茶を飲みながらゆっくり話すときもあるけれど、それはほんとうに限られた時間で、ある日のある時間を一緒にいさせてもらうとき、短い時間の中で、何かが「つうじた」と思う瞬間があって。短いやり取りの中で、その人の本質、というと変かもしれないけれど、むかしのことや家族のこと、村のこと、じぶんがつくった作物のことをうれしそうに語るひとのそのなかに、ぴかぴかと輝くものが見える。
わたしはその瞬間のために仕事をやっているのかもしれない。いつだってそれは感動的で、そのありようはひとりひとり違うのだけれど、でもいつだってそんな喜ばしいものに触れていたい、近づきたいと思っていて、そのためにどうしたらいいのか、ちゃんとひとに向き合うこと、全身で声をきくこと、そんなことができるようになったらいい。
そしてもっと欲張っていうなら、わたしが出会った素敵なひとびとのことを忘れないように、じぶんの記憶に刻み付けておきたい。

2013年10月28日月曜日

先週

今日は日中お昼寝をしたので夜でも割とげんき。さいきんのあれこれを思い出しながら書いてみる。

さゆりさん
かなたさんにこの間知り合ったというさゆりさんを紹介してもらい、3人でベースキャンプというカレー屋さんに行った。さゆりさんは私の一つ上で、博多在住。書くことが好きで、仕事をしながら「手の間」という博多の小さな雑誌に記事を書いている。
博多に来てはじめて、職場の人以外と仲良くなった。まだ一度しか会っていないけれど、かなたさんとさゆりさん、わたしはずいぶん意気投合して、いろいろなことを話した。さゆりさんはわたしたちとはちがって一般の企業に勤めている人だけれど、「食糧戦争」という言葉を口にしていて驚いてしまった。これからどんな暮らしができるか、そんなことを考えながらあちこちにアンテナを張っているようす。福岡でやる西村さんのワンデイフォーラムにも行くと言っていた。
毎日人と出会っているけれど滅多に同年代のひととは出会えないので紹介してくれたかなたさんに感謝。


文章を書くこと
かなたさんもさゆりさんも書くことが好きで、仕事にしたいと言っていて、なんだかすごいなと思って聞いていた。じゃあわたしはどうなのかと聞かれ、 その時は、なんともあやふやなことを言ってしまったのだけれど、かなたさんにてるてはそこまで書くことが好きじゃないんじゃないのと言われて、それは違うと思ったけれど、でも何て答えたらいいのか自分でも言葉にできなかった。
そのあとも自分が文章を書くということについて考えてみたけれど、やっぱり何とも言えない。簡単に書くことが好き、とか得意、とは思わないけれど、むかしから、言葉にすることには興味があった。それが人に見せるためのものなのか、自分のためのものなのかはよく分からないのだけれど。ここでも、日記をウェブに書いてみたりしているけれど、誰に向けて書いているのかよく分からないで書いている。とりあえずは自分のためだけれど、人が見ているかもしれないと思うと少し緊張感があっていいのかなと思う。
ツイッターもフェイスブックもやっているけれど人に見せる、となると自意識が過剰なのだろうか、とてもとても恥ずかしくて、いろいろ考えた挙句、書けなくなることがよくある。詩とも日記ともつかないものを小さいころから書いていたけれど人には見せることができなかった。自分で後から読んでもやっぱり恥ずかしかった。
そういえば、研究室の先輩が卒論を書きながら言っていたという言葉で、すごく腑に落ちたものがあった。自分が見てきたものや人について書いてしまうことは怖い(だったか、苦しいだったか)ことだと。言葉ってやはり強い意味を持っているから、動いて息をしているものを断定して、固定させて殺してしまうようなこともしているんじゃないかと。すごく心を動かされたことを、そのまま伝えるのはとても難しくて。結局自分の力不足、ということなのかもしれないけれど。
とにかく、彼女たちのように書くことが好きで書く仕事がしたい、なんてとてもとても今のわたしには言うことはできそうにないけれど、でも残したい出会いや思いは書き留めて、人に伝えることができるようになりたいと思っている。やっぱり共有したいものはあるし、自分が思っていることを少しでもわかってほしいと思うからなんだろう。


オニババ化する女たち





三砂ちづるさんの本を誕生日にプレゼントしてもらって、最近ようやく読み終えた。これだけあけすけに性のことを語ってくれるひとって身近にいないんじゃないだろうか。
女の子の身体のこと。身体の知恵。月経、出産。いのちをつなぐこと。モノとしてではなく、生きものとして、自分の身体と向き合うこと。

題名がセンセーショナルで狙いすぎている感じがあんまり好きじゃないけれど(一時期評判になっていて本の存在知っていたけれどそれが嫌で読まなかった)、内容は、そうだよね、と納得して、改めてだいじなことはだいじと思えるものだった。
読んでいていいなあと思ったのが、卵子にも個性がある、子宮口にも心があるという話。せっかく排卵したのに毎月精子に出会えず流されていく卵子の気持ちやいつでも子どもを産めるように準備してくれているピンク色の子宮の気持ちを考えるというのは、自分という存在を思考や容姿に限定させてコントロールしようとするのではなく、頭だけでは理解できない他者、生きものを包むものとしていたわることだと思った。


わたしは身体の声に耳を澄ませるとき、自分の身体の中にいて、膝を抱えている少女を思い浮かべて、寒い時やさびしい時に抱きしめてあげる。誰の中にもそんな女の子がいて、小さくてあたたかなものを持っていると思うと、外に見える姿や言動がどうであれ、その人の命は歓迎できると思えるようになる。それは、自分や人に愉気をしているときに陥る命に触れている、という幸せな感覚に似ている。
愉気の話もそうだけれど、三砂さんの本読んでいて、何度も3年前にやった飯田さんのワークショップやクリエーションを思い出した。よいお産をした人たちが、本当に幸せで、何度でもその経験に戻っていきたいと語っていたというように、クリエーションはただ幸せというわけではなかったけれど、あの時の何かに触れた、という感覚は新しい命を産み落とすという一種のお産体験に近いものがあるのではないだろうか。お産をしたことがないからわからないけれど。
それから、言葉があふれ出す、という話もなんとなく分かって。そういえばと思って久々にあの頃書いた文章を読んでみて、何が書いてあるのかよく分からなくはあるのだけれど、つたないけれど、でも、気持ちがあふれてその時の言葉たちは踊っているように思えた。いつだって、そこに、その体験に戻っていけるような。

そして、触れ合えることを許しあえる人がいてくれる、ということはとても幸せなことでありがたいことだとあらためて。おかげで、わたしもたくさん変われている気がする。三砂さんが言うところの「受けとめられた」ということだろうか。もともと、わたしたちは受けとめられられている存在で、たくさんのものを贈与されている存在であるということ。


夜へ急ぐ人
三砂さんの本を読んだ後に、早川ユミさんの旅する種まきびと、内澤旬子さんの身体のいいなりを読んだ。なんだか、女性の書いた本を読むのおもしろくて。みんな全然違うことを書いてはいるのだけれど、どれもつながっているような、身体やこころについていろいろな目線で語っていて(どの本でも野口整体って出てきた気がする)。女性つながりで、内澤さんの本に東京事変の落日のことが書いてあって久々にわたしも聞いて、これもまた、飯田さんとやったクリエーションのことを思い出して、胸がきゅんきゅんとした。あの時間はなんだったんだろう。そのあとちあきなおみの歌を聴いて、「夜へ急ぐ人」が友川カズキが書いたうたであることを知った。


 土曜は鳥栖で読者の集い。行く道で進藤さんの冷え取りの本を編集したゴーストライターが遠藤さんだったことを聞いてびっくりした。興味のあるものには近づいていきたいという思いがあるならとくべつ意識していなくても近づいていく(くる)ものなのだと思った。ここのところ、特にそう思う。
だから、わたしは想うことをやめないし、人とつながっていきたいと思う。 読者の集いでは、私が多良木町で会って集いのことを紹介していた人が友達を連れて来てくれていて、なんだかうれしかった。

今日は、長野で出会った会社OBの先輩が送ってくれた紅玉を使って、かなたさんとアップルパイをつくった。宮脇さんにとても喜んでもらえてよかった。オーブンが使えると分かったので、これから寮でも少しずつつくることをしていきたいなと。


2013年10月27日日曜日

先先週

生姜と鹿と猪とお茶



ひきつづき生姜地帯をバイクで廻る。
驚くほど山深い場所で生姜をつくっている。山は偉大。何度行っても圧倒される。深々と、こころのなかで頭を垂れる。そんな場所で、土に触れてたべものをつくっている人たちがいました。自分で摘んだ無農薬のお茶を近くの湧き水淹れている夫婦。すてきな夫婦に出会うとこちらまでうれしい。美しく年を重ねているお母さん。
美味しいお水と段々畑ではざがけ米をつくるおじいちゃんおばあちゃん。外から来た人でも快く迎え入れてくれる人たち。
バイクで走り回るわたしに、気を付けてね、と言ってくれるお母さん。バイクに乗っているときは一人ではあるけれどたくさんの言霊に守られている気がする。




鹿とイノシシに会った。鹿は道端で。イノシシは生け捕りにして飼っている人がいた。罠にかかった小さなイノシシを太らせてから食べるのだと言っていた。美味しい時期があるんだよとうれしそうに教えてくれた。鹿肉のから揚げをいただいて食べたけれど美味しかった。
村にあるお店で出していた鹿丼も美味しかった。鉄砲やワナ猟師もいてみな自分で捌いていた。そんな人たちが村には何人かいる。鹿やイノシシは害獣なので、山の肉として食べるのはとても賢い利用方法であると思う。鹿やイノシシの肉は売ることもあるけれど近所の人に分けることが多い。
ある家では、イノシシを捌いているのを見た子供がイノシシは絶対に食べたくないと言っていたそうで、でもスーパーで買ってきた牛や豚の肉はたくさん食べるのだそう。それがどこの肉で、どんなふうに飼われていて誰がどう捌いたのかもわからない肉のほうを喜んで食べる。パック詰めになった、途中経過が見えないたべものは本当にたべものといえるのだろうか。でもその方が安心する人っているんだと不思議な気持ちになった。

お茶農家は総じて優しい、という気がした。家によってお茶の味が違って面白い。昔より、農薬を使う量は減ってきている。昔は品評会に出しているお茶というものは、じっぺんくらい、農薬をかけていたそう。今は一番茶、摘んでも二番茶くらいだから木も傷まないし、農薬をそこまでかける必要がなくなったのだそう。

2013年10月23日水曜日

春風のなか、ちいさな街

 3年前に、飯田茂実さんとe-dance仙台のみんなで「春風のなか、ちいさな街」という作品をつくりました。けいこ中の自分の言葉やみんなが書いた言葉たちをふと、見返して。

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ごめんなさい、ありがとう、

 どこかで誰かがさけんでいる、ないている、大声で笑っている、しあわせ、いとしい、かなしい、くやしい、さみしい
  たくさんの疲れた、たくさんの愛してる、たくさんのひとがひとが道に街にあふれ、こわがっている、うなっている、嘶きが聞こえる。でも、いなないているのはいつも自分で、隣の席の人がさけんでいても、ないていても、いつだって私はみかんの皮をむくことしかできない。電車の中から見たたくさんのマンション、ビル。あの中に一個一個家と人があることを思うとぞっとすることもある。

  生きているってだけで、自覚なく、たくさんの人やものたちを傷つけている。わたしが想像できることは狭くてちいさい。ぜんぜん追いついていない。
  いつもは平気で生きているけれど、小さな声を極力無視して自分の事だけ考えて、自分の事だけ考えて生きているけれど、たまに心がしん、とするときがあって、素直に感じられるときがあって、どうしようもなくたまらなくなって、ごめんなさい、と思う。いつも、ごめんなさい、と思う。ありがとう、とも思える。
  飯田さんは三つの言葉で足りると言っていた。
  ごめんなさい、ありがとう、I love you.(一個だけ英語なのはどうしてなのだろうね)
  少し恥ずかしいけれど、斜に構えずに、心から、思えるときがある。
私はとっても小さいけれど、やさしい人では無いけれど、でもごめんなさい、と素直に思えるときがある。奥底、私の静かな場所にある。好きです、大切にしたい、という気持ちをたまに自分の中に発見する。奇麗事のようだけど、いつもはがさがさと覆われて見えないけれど(いつでもそういうもので溢れている人もいるね)、みんな持っているのではないかしら。

  美しいと思う、共演者のことを美しいと思う。たくさんの人の美しいものが見える、見たい。それは和気藹々とした馴れ合いとかには見えなくて、ひとりぼっち、静かにひとりで膝を抱えて丸まっている人に見える。夜にひとりぼっちで泣いている。不器用で、孤独で、さみしい、そんな人の姿に嘘ではない、透き通ったきれいなものが見える。

  嘘ではなく、奇麗事ではなく、そんな舞台ってできるのだろうか、できたとして見た人はどう思うのだろうか。私にはまだ分からないし、確かなことも言えない。
  でも、今わたしに出来る舞台はこのかたちだ、と思う。ひとつひとつ大切に重ねていく営みが、今の私には必要なのだと思う。
  柄にも無いことを言ったりやったりしているかもしれない。
  いつも、わたしの小さい手からはたくさんの人や物や気持ちがぼろぼろとこぼれていく。すくい上げることができない、ケアすることができない。

  だから、舞台なのかな、と思う。
  だから、舞台で、たくさんのありがとうとごめんなさいとI love you.を言おうと思う。

  今週末から仙台の外へ行って来ます。
  これからもよろしくお願いします。
  ありがとうございました。

2013年10月20日日曜日

ひらかれたむら

このあいだ、F1種を使わず固定種のみで野菜を育てようとしている人にあって、いろいろ話をしてきた。
小さな娘をもつ彼は震災後宮崎に越してきた。
貨幣も情報も今の日本の教育も信じられるものは無いと言い、都会から離れた場所に移り、独立国家のようなもの、皆が自給しあう村をつくりたいと言っていた。
そういったことを志向する人びとは結構いるような気がするけれど(特に震災後はわたしが変わった部分もあるかもしれないけれどあちこちで目にする気がする)、まったく話の通じない人たちというのもいて。同じ高校にいた子たちといま、わたしはどれくらい話ができるのだろうと思うと少し怖い気がする。

ただ、さっき会社が出している雑誌を読んでいて、ふと、「自然とともにある“開かれた村”」という言葉に出くわして、わたしがすすみたい方向について言葉にできずにいたものが表されていたような気がしてありがたい気持ちになった。
身近なところにあるのは偶然ではなく、言葉にできなくても自分が近づいていきたいと思っているからで、だから、そんなに怖がることはないのだと思った。

さいきん



先週から生姜地帯。
リチャード・ブローティガンの本を最近初めて読んだのだけれど面白かった。
『西瓜糖の日々』
西瓜と鱒を生活の基盤にしているあるコミュニティの話で、その世界は閉じられていて、外の世界は「忘れられた世界」しかない。不在感と静けさ。

日々、知らない土地を移動している私は、自分がいま見ている人々も西瓜糖の人々と変わらないようにも見える。
小さな集落で、わたしの知らない世界。物語の中の人々。
そんなことを空想しながら、生姜まみれの日々を送ってる今日この頃。(ちょうど西瓜糖の世界が食べ物も家もなんでも西瓜でできていたように、この地域の食べ物にはなんでも生姜が入っている。味噌汁、きんぴら、つくだ煮、ドレッシング。。。もちろんみんな食べ物だけだけれど)

でも何をつくっていても農家は農家で、家の前には小豆やらトウガラシやら、いろいろ干してあって、自分たちで食べる野菜を作って、味噌や漬物を漬けるのはどこも同じらしい。生活の基本。それをしなくなった農家もたくさんいるけれど、昔の日本の暮らしの原型を残している農家に会うと私はうれしくなる。





土日は阿蘇の草原で草泊りというものを作った。草泊りは昔車がなかった時代、牛や馬の牧草を刈りに出て帰るのに時間がかかるからと牧草地に泊り込めるように自分たちで作った簡易居住空間。竹を骨組みにして、牧草地に生えている背の高い萱やススキを敷き詰めて作る。
1960年代くらいまで阿蘇ではつくられていたそうで、ワークショップの講師となる農家のおじさんたちは小さいころお父さんたちと一緒に草泊りをつくって泊まりながら刈取り作業をしていたらしく。

何がすごいって、そこにあるものだけでなんとか一時的にではあれ、暮らせるようにしてしまう技術を皆が持っていたということ。おじさんたちの手際の良さったらなかった。紐ひとつ結ぶのでも素早く、きれいに、がっちり結べるのだもの。それを見ながら私は面白さもあったけれど無力感も覚えてしまった。いつも仕事をしながらも思うことだけれど、自由に動かせるのは口くらいのものだ。自分の手で自分が必要なものをつくり出すことができないのはもどかしい。





今の時代においてはモバイルハウスという思想自体がもてはやされたりするけれど、昔はモバイルハウスのようなものはあちこちにあって当たり前のように誰でも自分の住む場所を作ることができたんだろうなと思う。





先輩たちと一緒に参加して日中つくった草泊りに一泊。夜、街灯ひとつない牧草地の空はすごかった。寒さと感動がいっぺんにやってきて、自然は恐ろしく美しいものだと思った。流れ星が2度くらい見えた。

牛や馬が身近であった時代もそう遠い話ではなく。草泊りで農家のおじさんたちの話を聞きながら最近読んだ西村佳哲さんの『人の居場所をつくる』という本を思い出していた。遠野で馬を中心とした農業、生活を営んでいる田瀬さんのはなし。いろいろなものをリンクさせて楽しんでいるこの頃。

2013年10月7日月曜日

10月6日(日)






生きているっておもしろい。
毎秒、毎日、動いて、変化していく。
自分が、世界が。
身体が、心が。

朝はちっぽけな自分に失望していたのだけれど、夜になって、本を読みながら、自分がこれまで会ってきた人や聞いてきた話、今までの体験を重ねて、いろんなものが自分の中で有機的につながっていく様子を楽しんでいる。

想像することは限りがない。
いろいろな出会いに感謝しながら、想像を、少しずつ、自分の手でも動かしていきたい。人と共有してみたい。

自分のための言葉だけでなく、人に伝えられる言葉を探していきたい。


~最近読んだ本。読んでいる本。~
石牟礼道子『苦界浄土』
西村佳哲『人の居場所をつくる』
堤美香『(株)貧困大国アメリカ』、
季刊地域No.1『農産物デフレ—適正価格を地域から』
季刊地域No.15『獣の恵み 皮・角・肉を利用する/ 農家・農村は、企業とどうつきあうか』
spectator vol.28『OUTSIDE JOURNAL―野生のレッスン』

2013年10月2日水曜日

10月2日


村のあちこちで栗剥き機で栗を剥いている人に会います。
栗の山が羨ましい。
秋の恵み。

10月1日



ここのところ力入り過ぎてたけどこの子みてたら抜けました。

めええ。

2013年9月30日月曜日

おまじない

9月30日


自分がしていることを全部肯定できない日もままあります。

ので、そんな時はとりあえず、ありがとうごめんなさいあいしていますを唱える。

最近は、バイクを走らせながら、朝、ときには夕方、
ぶつぶつつぶやいているのを見た人は気持ち悪いかもしれないけれど、まあいいのです。

で全部解決したりするわけはないのだけれど、結局じぶんのためのおまじないなので。

明日はもう少しありがとう多めに言いたい。