2015年7月4日土曜日

愛すべき人びと

さようなら、さよなら
元気でね、お元気で

先週からいろいろな場所で、いろいろな人たちと交わされることば。
2年間いた九州を離れることになりました。

今生の別れではないのだけれど、さようならの向こうには、どうもありがとう、いつ会えるだろうか、またどこかで会いましょう、元気でいてね
というたくさんの言葉たちが隠れていて、それは寂しさとともに、その人と一緒にいた時間を思い起こさせる。そしてその余白にある優しさがこころをぽっと明るくしてくれる。


考えてみれば、毎日がはじめまして、さようなら、多分一生会うことのない人たちが大半、という仕事をして約2年。ひとりひとりと過ごす時間というのはほんのわずかなのだけれど、総体として、土着の人びとと過ごした時間はわたしの20数年生きてきた中で相当の重みを持ち、わたしの思考を変えてきた。

わたしは毎日、彼らに恋をして、アタックして、向こうに認めてもらえたりもらえなかったり。わたしは彼らにはなれないのだけれど、彼らの精神性のようなものにどっぷり浸かって、それはひとりひとり違う人であるにも関わらずどこか似通っている。まるで農家という種族がいるような。

このあいだ、長崎県で出会ったイチゴ農家のおばあちゃん。
「今日はぬくかけん」と言って、着ているTシャツ(PIKOのTシャツ)でなんども顔の汗を拭くので、そのたびに下着をつけていないおばあちゃんのおっぱいが露わになる。わたしが止めると「もう歳だけんよかー」。「あなたなら(女だし)いいやろー」。
72歳のおばあちゃんはもう女性というよりも妖精のような生きもの。体面とかとは全く縁のないところで生きていた。
「わたし勤めもしたけど百姓の方がよかー。お勤めだったら決まったお給料しかもらえんけん、百姓は気張った分だけもらえる」。

千葉で会ったタバコ農家のおじちゃんを訪ねたときに、「にょうぼうは風邪で」と言われた。
おじちゃんから発せられる「にょうぼう」という響き、そのことばのぴったり具合い。女房と彼と生きること、畑で仕事をすること、家がつづいているから彼がここにいること、すべてがすべてが何の疑問をさしはさむ余地もなく、どかんと鎮座していて、そのことにわたしはぐうの音も出なかった。

アタマではないところで何かに貫かれて生きている。彼らは動物的でもあって、わたしとは少し遠いところ。身体性と土地と生活とがひとつづきである人たち。ルーツがあるという大きさ、その人のうしろに、巨大な世界が見える。彼らはわたしにはない重さを持っている。
違う場所で生きているのに、皆どこか似た雰囲気を持っている。
わたし、この目に前にも出会ったことがある、と思う。土を耕し、額に汗して、共同体の中で小さいころから同じ場所にずっといる。小さいころから同じ仲間たちとずっと一緒にいる。
絶滅してしまうのかもしれないなあと思いながらわたしはそういう姿をみるたびに何とも言えない気持ちになる。

彼らは大体、わたしが突然バイクで飛び込んで行っても平気な顔をしてむかえてくれる。自分が育てているものを持たせてくれたりする。お母さんはどこからお嫁にきたんですか。嫁入りはタクシー?馬車?ライフヒストリーを聞くとたくさんの言葉が出てくる。
一瞬であってもわたしはその人に近づきたいって強く思うから、そう強く思っていると、初めて来たわたしに対して一瞬、心を開いてくれるときがあって、ああ、なにかが通じたなって奇跡みたいな瞬間。いくどもあって、そのたびにわたしはうれしさとかで泣きそうになる。それはどんな偉い人と話をしたとかいうよりも断然、わたしには大切なことで、そういう宝をたくさんもらってきた。

仕事の内容が変わるから、これまでみたいに毎日農家のところへ営業へは行かなくなるのだけれど、彼らのことはわたし身体で覚えていて、何を見ても彼らの目でもって見てみたいと思う。


最後の1か月間いた長崎はずっと雨で、本当に久々の晴れ間に見えた景色が美しすぎた。九州は千葉よりもだいぶ田植えが遅くて、最近終わったところ。水の張った田んぼはいつみてもきれいだな。


ありがとうとごめんなさいと愛しています。