彼女はどうやら自分が未婚であるということを言いたかったようで、でもそれをあっけらかんと言われたので、わたしは面食らってしまった。もうこの先こどもをつくることができないこと、とか、つれがいないこと、とか、そうであることの悲しさというのは多分ひとことでは言い尽くせないものだろうけれども、彼女はなぜだか明るくて、いろいろなものへの感謝を口にするのでわたしはちょっとわけが分からなかった。
年老いた父と母の世話をしながら、花と野菜と枇杷をつくっている。わたしは突然やってきて、話しかけただけの人で、彼女に何もあげたわけでないのに、これ持って行ってと彼女がつくっているユリを持たせてくれた。骨ばった特徴的な顔立ちの人で、わたしは青森出身の友人のことを思い出した。
彼女にかかると、じぶんはもらってばっかりいるそうで、それはモノとかお金とかではなく、旦那さんはもらえなかったけれど、ほんとうにいろいろな人に良くしてもらっていて、こうして農業ができるのも、みんなのおかげで、たくさんのものをもらっているから、わたしもあまり損得考えずなんでもひとにあげるのよと言っていた。ひとにあげると自分に返ってくるでしょうと。
あげすぎているからもらうのか、もらいすぎているからあげるのか、は分からないけれどとにかくわたしはユリをもらい、不思議な気持ちで彼女と別れたのでした。奇跡のような出会いが、まいにちあることに感謝します。もらいすぎているひとはわたしだ。
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