2014年1月13日月曜日

桜島のふもと、宇宙人



鹿児島へやってきた。
いちねんくらい前にともだちと遊びにやってきて以来で、そのときはただあそびでまわっただけだったけれど、こんかいは仕事なので、この土地で土を耕す人たちとたくさん話す。

わたしが通っている場所は、大隅半島の西側、錦江湾に面していて、桜島のふもと。
常に煙を吐き続けるおおきな山を毎日みて育つというのはどういう感じなのだろうか。
地域で暮らす、というのはその土地のけしきが血肉化されて、その人をかたちづくっている。だからかわからないけれど、彼らは、わたしにはない情緒をもっているような気がする。桜島の情緒、だろうか。桜島だけではなくて、高隅山とか、近くには七岳とか、錦江湾に沈む夕日とか、ものすごく、自然がむき出しで、植生も違って、木がわさわさしていて、とにかく、わたしにとっては異国なのだ。

いつだって、ひとと出会う中で、たくさん感動させられるのだけれど、先週、すごくすごくうれしかった出会いがあった。

ひとつは、千秋ちゃんとの出会い。千秋ちゃんはわたしと同い年で、大学を出て、ひとりで農業をはじめた。野菜は露地で、無農薬で、季節のものをすこしずつつくって、学校給食に出したり、道の駅に出したり、個人販売をしたりして生計を立てている。
彼女は県立大の農学部に行っていて、皆が就活をしているときに「農活」をしていた。農業委員会にかけあって、借りられる土地をさがしていたのだそうだ。
父親や母親は勤めていて、休みの日は手伝ってくれると言っていたが、ほとんどの日はひとりで、畑を耕し、野菜をつくっている。笑顔がとても晴れやかで、気持ちのいい人だった。
同じ年だから、同じ女の子だから、想像するのだけれど、いちから農業をはじめるのは、もちろん簡単なことではなく、無農薬でやりたいという意志を貫くためにはずいぶんと苦労をしたはずで、でも千秋ちゃんが育てたブロッコリーはすごくきれいだったのだ。
そんなひとに出会えたのがほんとうにうれしくて、もう泣きそうだった。たくさん握手をして、友達になりました。

そして、千秋ちゃんは震災のときに、東北に行って手伝いができなかったことを悔やんでいて、いまでも何かしたいとおもっていると言っていた。東北で、農業をしている先輩たちが大変な思いをしているとおもうと、悲しくて、じぶんもなにか手伝いたいのだと言っていた。
先輩たち、という言い方。遠く離れていてもそういうつながり方があるんだと、土を触る人たち同士の連帯感というか、その確かなかんじがすごくいいなあとおもった。

その次の日に出会った人も、事故が起こってから、自分は福島の人みんな、東北の人みんな、鹿児島においでよと言ってあげたかったから、自分は市長にそう頼んだのだと言っていた。

距離的にこれだけ離れていても、ひとは思いを寄せることができて、その考え方が正しいとか間違っているとか言うつもりはなくて、おもってくれているということだけでわたしはとてもうれしくて、そのやさしさに、ただ勝手にありがとうとおもうのでした。

もう一つの出会いは、これも若い夫婦で、3年前に奥さんのおばあちゃんの家に移り住んで自然農法でお米やお野菜をつくっている山田さん。
行ったら子どもたちと一緒にそとで洗濯物を干していた。山田さん夫婦は二人とも東京や奄美大島で環境保全の仕事をしていたらしい。生き物に優しい暮らしがしたいと思って農業をはじめた。
「地域を変える、田畑を変える、農業を変える、食を変える、暮らしを変える」がモットーで、カエルをトレードマークにしている。カエルはふたりが生態系の調査などで追っかけていた対象で、家にはカエルグッズがたくさんあった。
ひきがえるを飼っていて、子どもたちがみせてくれた。



このカエルの話を聞いて、仙台で活動しているカエルノワというお母さんたちの団体を思い出してうれしくなった。

ふたりとも、バランス感覚が優れていて、自然農法にかぶれるわけでもなく、まっすぐにできる農のかたちをさがしていて、慣行農法をやっている人からやいのやいの言われることもあると言っていたが、自分たちのやり方をしっかり貫いていて格好良かった。
種取りもしていて、今度東京である古来種ファーマーズマーケット「冬の種市」に種や野菜を持っていくとのこと。大変なこともあるけれど、と言いながら、なんでも楽しそうにやっていて、家族がみんなひかりかがやいていてまぶしかった。

柳田さんとそのいとこの俣江さんやいろいろの知り合いを紹介してもらえたのもありがたいことでした。 柳田さんは最初会うなり、世界の成り立ちの話になった。人為と自然と。
ロスチャイルド家から坂本竜馬、安倍晋三に至るまですべてフリーメーソン、イルミナティに牛耳られているという話。
農薬も薬も添加物も石油製品で出来ていて、農業もこうした流れの中にあるんだよと。石油製品は人間が合成したものだから全くエネルギーがないのだけれど、このエネルギーがない農薬漬けの野菜や添加物まみれの食べ物をまいにち食べている若い人たちのことを本気で心配していた。
どこまで信じるかはあなた次第だけど、と言いながらいろいろな話をしてくれた。面白い人だった。子宮頸がんワクチンは使うな!とも言われた。

フリーメイソン、という言葉にしてしまうのには少し抵抗があるけれども、でもわたしは彼が言わんとするところがなんとなくわかる気がする。
コンビニの食べ物が信用できないのは悲しいことで、でも顔の見えない大きなものは信用するのが難しい。防腐剤っていったいなんなのか、なにでできているのかわたしはわからないけれど、腐らせないように食べ物は殺菌されていて、菌を殺すっていうことは、わたしたちのからだの中の菌も殺すわけで、それを気づかぬままからだに取り込むのをよしとしているこのしゃかいというのはやっぱり信用できない。コンビニのおにぎりが塩素で洗われていたり、ツヤツヤした見た目にするために光る粉をかけられていたとしてもそれを知らないでたべることができる。
どうしたって、いのちの世界を大事にしようとすればそんなことはできないとおもうのだけれども、お金の世界の論理は違って、今せかいはそのお金の論理で動いていて、そのためならなんでもするというひとたちが、戦争を起こさせたり、石油製品や電気や薬をたくさん使わせようとするのには、わたしたちが何も知らない方が都合がよくて、メディアだってお金で操作できるのだから、知ろうとしなければ彼らが思うとおりのことをするだろう。
ひとびとが元気でいるよりも、病気になって医療費を費やしたり、薬をたくさん使ってくれたりするほうが都合がいいから、たべものの世界はこんなになってしまった。

と、嘆いてもしかたなくて、柳田さん曰く、いまの若い人たちでも気づき始めている人がいると。頭の使っていなかった部分が動きはじめて、田舎へ向かう人が増えてきたと。
わたしは同世代のことを遠くからながめることができないので、そうなのかなーと聞いていたけれど、千秋ちゃんや山田さん夫婦のようなひとびとにはたまに出会うし、そこに明るいひかりのようなものを感じる。みくさのみたからを教えてくれた飯田さんがわたしてくれたもの、服部みれいさんの本があちこちにおいてあることとか、むかしは知らないけれど、扉はたくさん開かれているようにおもう。

とにかく、毎日からだを開いていると、ものすごい出会いがどどどと押し寄せてきて、ものすごいりょうの情報がからだにはいるので、大変なこともあるけれど、どうにかして定着させたくて、言葉にしている。
であるけれど、まだまだ間に合わなくて、でも大事にしたいとおもうのです。
ありがとうと、ごめんなさいと、あいしています。

ちなみに、鹿児島に来てから、宇宙人とUFOの話を聞くことが増えました。増えた、というか、いままでほとんど聞いたことなかったのに、まいにちのように出会う人がそんなはなしをするので、すっかり、わたしもそういう存在がいてもいいかなと思い始めています。
 

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