不思議なもので、週の初めのころまでは、「海の上のピアニスト」のことを考えてばっかりで、おふとんから出たくない気持ちになっていたのに(わたしは88の鍵盤すら上手く使えないのに)、むりくり仕事で外へ出つづけていたら、大海原と思っていてもどこかで世界はつながっていて、そのちいさなつながりをひとつひとつ拾い集めていたら今までの自分を肯定できるような気がして、すてきな人やきれいな景色や美味しいものに出会ったら、やっぱり好きな人たちに口々に告げて回りたい気持ちになる。
このあいだ久々に仙台に行った。友達の家でお互いに愉気をしあったら、とてもとてもあたたかくて、心地よかった。一つしか布団がなかったので身を寄せ合って寝たのだけれど、やはり二人が寝るには少し布団は小さすぎて、なのでわたしは想像で、大きくて暖かい布団のことを思い浮かべたら、とても幸せで優しい気もちになった。
メディアテークの「記録と想起」展で見た瀬尾さんの絵には、震災でめちゃくちゃになってしまったはずの町を、そっと包み込む優しい優しい天使が描かれいて、それは本当にやさしい眼差しで町を見つめていて、なんだか夢のようでわたしはうっとりしてしまった。
山に囲まれた小さな村はとてもとても狭くて息苦しいものでもあるのだけれど、わたしにはそれが心地よくて、外に出ることがとても億劫で、変な野望でぎらついて外を見ている人がなんとなく苦手で、小さな村にお布団をかけて、みんなであったかくしていられたらいいのにって甘い夢を見る。
遠くのこと、たくさんのことを知りたいと思う一方で、ふと、近くの人やことをどんどんと取りこぼしながら生きているような気がしてとても怖くなる時がある。
世界が大きな布団に入るくらいの大きさで、優しいものばっかりしかなければいいのに。広がれば広がるほど、つながりを意識することがとても難しくなってしまって、だからいま持っているものを守ろう守ろうと意固地になっているのだけれど、でもだけど、いま持っているというのも幻想で、すべて放っておいても死なないし、生きているものだなとも思います。
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